別に私は挫折していないし、かといって、ギター歴は薄ーく、長ーくなので、それほど自慢できるギター歴でもない。実際、うつの期間はほとんど触った記憶がなく、その証拠にアコギについてはだいぶ傷ませてしまって、今になって自力で修理したり、プロに頼んだりしている。
さて、挫折率90%という数字が何を基に算出されているかは知らないけれど、単純に中古のタマ数(買取数?)÷新品のタマ数(販売本数)だろうか。単純にほとんど続けられないという象徴として”90”としただけの可能性もある。
上の計算式であれば、単に飽きて家に置いたままのケースは挫折に換算されないことになる。売却=挫折。そうすると実際の挫折率はもう少しかさましされることになるが、「仕事忙しくてなかなか弾けないけど、いつかまた…」と大事にしまっている人は挫折ではないのだ。
それでいいと思う。
学生のときのように、日がなギターを弾いていられる生活なんて続くはずがないのが普通なのだから、”弾く時間がないけど、自分はギタリストだ”というスタンスで良いのではないか。
精神の問題だ。
あと、本格的に挫折するケースについても考えてみた。結論から言えば、ステージの上のあの人たちになりた過ぎるのがいけないんだと思う。いや、そのステージの上のかっこいいあの人たちに憧れてギターを買うところまでは間違っていないと思いたい。
でも、自分もああなれるかというとそりゃ違う。彼らは才能もあっただろうし、運もあっただろう。時代もあっただろうし、その時代に乗る才覚もあったかも知れない。とにかくいろんな条件がうまいこと重なってステージに立っている。下手したら、腕前はそれほどでも…と思う人でも堂々とプロ活動をされていたりする。何かひとつではないんだろう。
一応、10%の人が何らかの形でギター(でもなんでもよくて楽器というものを)続けている。その時点でまぁまぁ弾けている可能性は十分あるけど、当然その10%みんながスポットライトに照らしてもらえるわけじゃない。
きっとどこかの時点で「〇〇になりたい」という動機から解放されているはず。うまくなって、アンサンブルに耐え得る腕前を身に着けたなら、〇〇になれなくても自分のバンドで輝けるかも知れないし、それが続ける動機になる。別にバンドがしたくてやっている人ばかりじゃないし、そこまでの腕前でなくても続けるには相対的な”上手さ”から解放されなくてはならないんじゃないだろうか。
そもそも音楽なんだから好きにやればいい、の境地に立てればなんのことはない。
きっと私もブルースの完璧なフィンガーピッキングにとらわれていたら、しんどかったに違いない。Eric Claptonだって、その辺は適当…ではなく、あれは奏法にこだわらず、かっこいいところを抽出しているんだと思うけど…完璧にやっているわけじゃない。フィンガースタイルやスタイルのかっこよさなら、世界に名は轟いていないかも知れないけど、内田勘太郎の方がECの上だと思う。
つまり比べても仕方ない、という境地に立てば、上手さから束縛されなくなる。
ただね、上手い方が楽しいに決まっている。ちょっと語弊があるな。上手く…というより、一曲それなりに通しで弾ける、とかかな。
それに60歳70歳でデビューするブルースマンなんてざらにいる。それだけの年齢を重ねないと醸せないものがあるだろうしね。
いくら間があいても「やめてねぇし」って思っていれば継続中だ。
その気概があれば、と思う。