この件はどのくらい共感を得られるのか、むしろ反感を呼ぶような気もしないでもないが、書いてみる。
結論を言えば、自分が認識していることと環境(ほとんどがその環境を作っている人間たち)とのギャップにストレスを感じる、これが原因になることがある、という話。
その環境とは、上司や部下、会社からどう思われているかは知らないけど、言動に問題がある人、相手によって態度が違う人、裏でこそこそやっている腹黒い人、こいつ、アホか?!と言いたくなる人は、上司だろうと同僚だろうと部下だろうといるし、時に会社という組織やシステムに対して問題を感じたりして、それらと自分の認識とのズレがストレスの原因であり、それがうつにつながりかねない。
会社に対しては…法律や会社規模によって、できることできないことがあって、客観的にはやむを得ないことであっても整備された大会社から小さい会社に出向や転職で来た人には、あっちでできてこっちでできない、がストレスになることもあろう。ただ、やはり、大企業(上場企業)にはできても中小企業(非上場企業)ではできないことがあるのは確かだろう。
うつの原因が「ストレス」なのはそれほど反論はないだろうから、これらのギャップを感じることによるストレスは十分、うつの原因として成立する。
うつ人口がどのくらいになったか具体的な数字はわからないが、”社会が悪い”といつまで有耶無耶にしているんだろう。
どこの世界にも程度の悪いヤツというのはいる。悪気はないとかで許されているのも不思議だが、物理的でも言葉でも暴力は糺すべきではないだろうか。
不思議なもので社会的な地位や会社での職位とはあんまり関係がないように思う。
ご出世なさる人とその人の人間性はまず関係ない。
人品ともに優れた人だけが出世するということはまずない。
出世というのは仕事ができるとか、ちゃんと立ち居振る舞いができているとか、そんなことじゃなくて、会社や上司が扱いやすいかどうかという部分もおおいにある。会社が機能するうえで重要な能力でもあるのだから、人間性がどうとか言っても仕方ないい。
だから、上下左右にストレスを放つ人間というのは存在して然り。
となると日常的なことになる。
となると日常的なストレスが環境に備わっているということになる。何か自分がミスをして叱られなくても、だ。
となると日常的に回避することを覚えなくてはならない。
そこが難しい。
例えば、日常的に嫌味を口癖のように言う人が同僚にいるとしよう。
例えば、普通に指導なり、伝達なり、要望を伝えれば済むことに、なぜか非難めいた言葉遣いになる人が毎日会う同僚の中にいるとしよう。
例えば、午前中は低血圧なのかは知らないが、朝会った時点で最初からイライラしていて、言葉を選ばずに強い言葉で接してくる同僚がいるとしよう。あるいはテンションが異常に低く朝の挨拶をしなくてもいいと思っているか、聞こえるかどうかくらいの声で顔を見ずに挨拶をする同僚がいるとしよう。
「〇〇して頂けるとありがたいんですが」と言えば済むことなのに、「なんで〇〇できないんですか?」というなぜか非難めいた言い回しになる。ついでに「やらなくてもいいとでも思っているんですか?」と嫌味のおまけがついてくる。
OJTがある職場ならいざ知らず、ない場合はたいてい〇〇をトータルで教えていないとか、どういうときに〇〇をやるとか、何か習慣的に〇〇をやることになっているという職場ルールを教えていないとか、他の記事にも書いたが、教える側の責任を果たしていないケースにおいて、教える側は”やって当たり前”の習慣と化しているため、”やらないのはおかしい”と心の中で非難モードに固定されてしまっており、そのまま口に出ている。言われた方は鳩に豆鉄砲である。
いずれのパターンもここは職場(仕事をする場)なのだ、社会の一部でお給料が発生しているのだ、そんな状況のわかっていないこどもなのだと思うしかない。いちいちこちらまで反応して(ストレスを感じて)しまっては自分ばかりがストレスを感じて損である(こどもの方も何か不満があってそのような態度なのかもしれないが、理不尽なことで怒っているだけで、ひとりで怒っているにすぎず、それによってストレスを感じても知ったことではない)。かといって、傾向と対策をして論破したところで、そもそも長い間上記のような態度でも誰も注意してこなかったという環境そのものの要因もあるから、反論した分だけ自分がアウェー(孤立)になるだけだろう。
決して自分は間違っていないと奮い立たせようとか、自分を正当化することで、ストレスを感じないように心の整理をしようというのも悪くはないが、エネルギーがいる思考方法ではないだろうか。もちろんそういった方法でもストレスを受け流せるならそれでもいいと思うが。
基本姿勢は関わらない、ということだろうと思う。
社会で子供のふるまいをする相手に正面から取り合う必要はないだろうし、思いつかない。
こういったレベル(程度)差が原因でストレスを感じるわけだけれど、逆に「子供の相手はしていられない」と程度差を逆手に心の整理してみる。
大人になれよ、という話なのだが、先ほども述べたように、ある一定期間それでやってきてしまった人に改善を求めるのは難しいことかも知れない。然るべき立場の人が注意を与えればもしかしたら違うかも知れない。あるいは信頼関係のある同僚が心を割って話す機会を持つこともこれまでの時代にはあったかも知れない。でも、今時ご指導すべき然るべき立場の人も同僚として信頼関係を作れている人も、人間教育のような危ない橋は避けたいのが正直なところではあるまいか。
いずれにせよ、毎日のことになる可能性があるので、それだけにいちいち取り合わず、受け流す、あるいはとらえ方のパターンを決めて、心の整理をする…そういった工夫が必要なのではないか。