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  • ミトコンドリアとY染色体

    自分のルールを探る方法のひとつとして、ちょっと角度は違うけど、自分の遺伝子を調べるという方法。だいたい1万円くらい。

    ミトコンドリアDNAをたどれば、母方のご先祖様をひたすらさかのぼれます。逆にY染色体は男子にしか受け継がれませんから、男親をさかのぼることができます。

    だから、氏族的なルーツではなく、民族的なルーツがわかります。

    私の父方は4万年前には日本列島にいたひとです。5~6万年前には日本に人が住んでいたとは言われているのですが、人骨のような遺物として確認されているのが確か4万年前なので、そういう言い方になっているんだともいます。

    母方のほうは琉球を伝って日本列島に入ってきたひと。そんなに古くなかったと記憶しています。数千年規模。そうすると江南かもっと南の東南アジアか…。大陸からか島嶼からか…。

    こういうものか時間とともにデータが蓄積されていきますので、今やればもっと違う答えが返ってくるかも知れませんね。

  • ご先祖様のこと(戸籍謄本からわかること)

    父方のご先祖様は高岡城の門前町と言っていいのか、とにかくお城の前に住んでいた。

    これは戸籍を遡るだけでわかる。

    ただ、このお城の前のおうちはうちから見れば総本家みたいな感じで苗字も違う。仮にa家とする。明治初期に分化したのを仮にb家。更にそこから分家したのがうち。b家とは苗字は同じなのでb’家とする。

    b家は今でも高い石垣で囲われたお屋敷と言っていいおうちを構えている。薬局だったようだ。でも、ここんちに免許がなかったようで、分家たるb’家の娘(私から見れば祖母)に薬剤師免許を取らせ、b家に免許を貸していたんだそう。

    一応、言っておくと当時の免許貸しはそれほど行政の指導も厳しくなく、祖母は十分貯え、二浪してやっと入った(私から見て)親父の医学部の学費も賄えた。伯母も京大だったと記憶しているから、経済的にも頭脳的にも教養的にも優秀だったことがうかがえる。

    もう少し説明を加えると祖母の薬剤師免許だけで何もかも賄えるほどだったわけでなく、本家も総本家も今では考えられないほどの財力がもともとあって、できたことだと推測している。

    さらにちなみにb家は総本家の次男だからまだわかる。明治6年2月に役所に届け出ている。

    一方、b’家は五男坊。次男から5男までみんな分家できるほどの財力がありましたという話ではなく、次男は日露戦役で戦死、三男は夭折、4男は…少々お行儀のよくないお方だったようで、でも紆余曲折があって最終的には20代半ばで分家。ただ、地元ではなく東京市へ。

    私から見て直系の曽祖父の五男さんも恐らく紆余曲折があって20台も半ばを過ぎて分家。それまで何度か養子縁組→離縁を繰り返し、それが当時としては普通だったのか、よくはわからない。chatGTP曰く、”紆余曲折”があったととらえるお答えであった。

    いずれにせよ、それなりの財力と子供たちに教育を受けさせるだけの教養があったおうちだったのは確かだし、そのうえで相当の土地(農地)も抱えていたようだから、収入減に困ることはなかったのだろうと推察。

    今のところ、気になるのは明治維新までの稼業。居住地は戸籍謄本でわかっているので、古地図からどういう町に住んでいたのか、どういう職業に人が住んでいたのか、稼業まで絞り込めるか、というのがポイント。

    自分のルーツを知りたいだけなんだけど、時間というものは当然近い順位わかりやすく、さかのぼればさかのぼるほどわからなくなる。当然、時間軸順にさかのぼると、近いご先祖様のことを知れる。でも、戸籍謄本だけだと職業はわからない。

    高岡城は江戸幕府開府の頃に廃城となっており、同時に武家は石川県側に帰っている。一方、町人クラスは帰りたくても引き続き高岡で暮らすことを強制された。だから、ご先祖様が武家だった可能性はかなり低く、安く買い叩かれたお城の前の門前町にいつの頃からか住んでいた…。ついでに高岡廃城の際に街道筋もだいぶ改造されたようで、高岡城付近は賑わう場所ではなかったよう。むしろモノづくりなどの職人町が発達した…と想像はするけれど、これは調べればすぐわかりそう。

    一時期、自力で図書館の本を調べたけど、なかなか続かなくて、近いうちに図書館側の協力を得て調べようかな。