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  • 仕組みで動かすことと人の成長

    そもそも、仕組みで組織を動かすということはそこにいる人たちがベテランだろうがビギナーだろうが、ある一定のパフォーマンスを発揮することを目指している。もっと言えば、病気や配置転換でやむを得ない人員配置の変化があってもそのパフォーマンスを低下させないことも含まれる。

    裏を返せば、しかもdrasticな言い方をすれば、そこにいる人間の能力に頼らないことを念頭に置いている。

    これは心情的にはやや不愉快さを感じる向きもあろうが、経営的にはいつ辞めるかわからない人にお金をかけて教育(育てる)するより、仕組みを運用できる能力さえあれば十分で、それはマニュアルが読めるだけの日本語能力がある、とか、仕事の手順といった社内のルールや今時なら法律を守るだけの遵法精神さえあれば、それで十分で、コストも格段に低く済む。

    某社にいたとき、自分を含めた各部の部長がまとめて解任されたことがあった。本当の理由は何であれ、こんなことを言われてすごく意外だったことがある。「お前らみたいにパソコンから作れる人材はもう要らないんだ。パソコンは操作さえできれば十分」と。

    なるほど、それだけ会社は成熟し、仕組み化(パソコンは作成)されたわけで、もうそれさえ運用(パソコンを操作)できれば十分なんだと。

    まぁ、当時解任された部長たちへの賛辞ととらえてもいいし、やっぱり解任されたのだから、本人たちにとってみれば理不尽この上なかった。

    パソコンを作る能力に長けていて重用されたかと思えば、その能力は邪魔だから、外れてくれ、と。

    今更ではあるけど、私も含めてその部長連に会社への不満もなければ、経営トップに対する不信感や反感もなく、むしろ世代交代の時期でもあったから、新しい社長を支えることを考えていたし、真剣に会社の今後の発展を考えていたと断言する。

    もちろんね、サラリーマンですから、何ひとつ文句がなかったとは言いません。でも、それは自分たちの力で解決していけると思っていただろうし、その責任がある立場だと認識していたんじゃないでしょうかね。

    ただ、本当にもうパソコン操作のみできればいいというのであれば、会社にとっては迷惑な存在だったのかも知れない。恐らくそれ以降もよかれと思い、改善改革に邁進したであろうし、私は人事担当であったから、私が入社した頃のトップだった人の言に従って、”人の育つ環境”を模索し続けたでしょう。

    細かい部分での考え方の違いや、立場の違いで、理解の仕方も違っていたかも知れないし、今の時点でも私自身、当時の経営陣の気持ちを正しく理解していないのかも知れない。

    ただ、少なくとも当時在籍していた会社がどうとかいう話ではなく、ひとを育てるにはお金がかかるし、やり方も固定(既成)のものはないし、そうすると効果も達成度もわかりづらい。そんなふわっとしたものに経営資源を投入し続けるリスクはやはり冷静な経営者ほど難しいと考えるに違いない。

    だから、企業体の中で”人を育てる”ということが如何に難しいことであるかは理解しなくてはいけない。

    かたや、マンパワーに依存して拡大してきた企業は規模が小さいうちはそれなりに技術伝承が可能でうまくやれているようにも見えたけど、仕組みも体系的な教育もないとなると企業の規模拡大とともに急速に技術伝承ができなくなり、品質が落ちる。せめて教育という概念があれば、ひとりの熟練者が多くの若手に技術を伝授しようという思考にもなったかも知れないが、残念ながら個人→個人の伝達では会社の規模拡大のスピードに追い付けず、一気にパフォーマンスが薄まった(人材の薄まりはこの時期、業界全体の課題ではあった)。それでも勢いのあるうちは経験豊富な人材(中途採用者)が集まり、それなりにその勢いは維持された。でも、あるとき、その勢いに陰りが出始めた途端に経費に目を向け始めた。いや、経費に目を向けるのはいつでも大事なことなのに、行き詰ったときに目を向けると大抵”経費だけ”に目を向ける。つまり費用対効果ではなく、経費(販管費)単体で数字を見て、多い少ないとこねくり回し始めるのが常で、客数を呼び込むはずのチラシを全部やめてしまったり、計算値だけで人件費を削り始めた。当然優秀な人材の採用もやめてしまい、店舗の人時も削り始めた。いや、計算値自体何も悪くはなく、何かしらの基準を設けて人員配置するのは何も風変わりなことではないけど、その数値を用いる人間の方が不勉強なのか、判断が適正ではなかった(と感じている)。

    例えば、売上と人時を比例させるところまでは売上と作業量が比例するという視点で大きく間違ってはいないけど、売上の大小に関係なく必要とされる最低限の業務というのはどんな仕事にもあって、それが考慮されなかった。間もなく修正はされたけど、そのたびに何万人という社員従業員が右往左往した。人件費削減のために右往左往した社員従業員のコストがプラスされた。イニシャルコストではあるけど、不要なコストだったはず。※仮に6万人の従業員が「え?」と立ち止まっただけで、それが仮に1秒だったとして、6万秒=1,000分=16.7時間、社員の平均時給は2,000円程度らしいので掛け算すれば33,333円/時。もちろん「え?」だけでは済まず、それまでに費やしてきた準備の時間や、朝令暮改の修正のために何時間と時間を掛けることになる。10時間なら30万円、24時間なら80万円。小規模なドラッグストアなら何日分もタダ働きしたことになる。

    小売業(だけではないかも知れないが)には「走りながら考える」という言葉(思想と言っていい)がある。緻密に計画している間に走り出せ、走りながら考えろ、そして走りながら修正しろ、という思想。これが行き過ぎると無計画に何も考えずに走り始め、会社の規模によっては修正(走りながら思いついたこと)のために膨大なコストが発生する。大勢の人間はやり直しに近い手間をかけることになり、これほど無駄なことはない。修正とは言ったものの、実質やり直しが多い会社もあった。

    仮にマンパワー一辺倒の企業に社員教育という概念があれば、若干均一性と継続性の高い運営が可能だったかも知れないと思う。

    日本最大の小売業のイオンは組織力と教育を両立していた会社なのではと思ったりもしたが、確証はない。いくらか企業間の交流があり、知り合いがいた程度であるから、自信はないし、正直企業規模が大き過ぎてよくわからないといった方が正しいかも知れない。ただ、〇〇一辺倒ということはなく、歴の古い方にお話を伺えば「昔は勢いというか…」と小売業らしく、マンパワー頼りだった時代もあり、それでも大きくなるにはそれだけでは無理で企業体として権限移譲や人材育成、広報などのイメージ戦略等々を以て巨大化したのであろう。

    何かひとつではないのは確かだろうし、何かひとつに偏るリスクはあるのではないか。何かひとつ得意分野があってもいいのだろうけど、それだけではリスクヘッジできない。

    ただ、偏るにしても何に偏るかによって強い弱いはありそう。少なくともマンパワー依存だけは違いそうだし、それで何十年もやってきた会社に新しい文化は難しいのだろう…。

  • 初期教育の重要性

    平たく言えば、これがないと、もっと突っ込んで言えば、もし会社にそういう思想(育てようという思いといってもいい)がなければ、例えば新入社員に対してよく言われそうな「いつまで学生気分なんだね?」みたいなセリフは30歳だろうが40歳だろうがそ言いたくなる状況が変わらずずっと続く可能性がある。

    仮に初期教育がなかったとしても、日頃から会社つまり上司などが部下に対し、報告連絡相談を求めたり、何か問題があった場合に改善するよう指導する風土があれば、十分気付きのきっかけになるし、40歳になっても自分のミスを処理できない(決して腹を切るということではなく、普通に責任をもって仕事をすることを意味しているのだが、その対処方法は上司に出張ってもらう、みたいなことになったりする)子供みたいな状況がは避けられそう。不平ばかり言っていちいち仕事を止める部下がいても「反論があるならその根拠と代案を示せ」と多少の摩擦は避けられないかも知れないけれど、仕事っぽい議論になればお互いに気付きになる可能性が増える。

    尤も…建設的な議論ができるのなら、「学生気分」くらいは卒業しているんだろうけどね…。

    つまり、本当の意味での”仕事”をしているなら、普段から気付きがあり、自然と成長する機会が発生するものなのだろう。

    本当の意味での仕事とは多分何かに”貢献”することだろう。それは業種業態によって様々だろうから一概には言えないけれど、お客さんとか、利用する人とか、患者さんとか、会社だったり、上司だったりするかも知れない。

    まぁ、後半は時に「上司の顔色ばかりをうかがって」と揶揄される対象になりがちだけれど、見方を変えれば、上司や会社の顔色をうかがって、それが円滑な業務につながているのであれば、そんなにダメなこととは言えない。

    話を戻す。

    日頃からこういったやりとりがないとしたら、文句を言って好きなことしかやらなかったら、ごく一般的な普通の人が成長のきっかけをつかむのはかなり厳しいことになる(一般的な普通の…と言ったのはごく限られた天才は周りがどうであろうと成長できるので、そういう人は省いて考えなければいけない)。

    文句を言って…といったが、文句を言う方がまだましで、黙って好きなことをしないというタイプもいてこれは厄介。

    いずれにしてもやると決まっていることをやらなくて済む状況は本人にとっても会社にとっても大ダメージなように思うけれど、結構ある。

    かくいう私もやらずに済む仕事ならやらずに…と思うことは多々ある。そいつは経験です(笑) 会社から指示は出たけど、この類は立ち消えになるか、中止になるな、と。固まるまで保留するに如くはなし、というケースは結構あった。

    では、日頃の業務次第で、初期教育は必ずしもマストではないのではないかと思うこともあるけれど、果たして現場やそれを監督する中間層のクオリティーも必ずばらつく。つまり、上記のような経験値を高める環境をこさえてくれる中間層ばかりではないから、結局統合的な初期教育を施すことがベースを整えることになるし、少なくともスタートラインが揃う。

    この中間層の力量のことを言ってしまうと、初期だけでなく、継続的に何かしらの統一された教育を施していくのがセオリーなんだろうけど、ここではせめて初期教育だけでも…というスタンスに留めておく。

    スタートラインとは仕事をする姿勢がある一定水準まで引き上げられる、または均一になるということをイメージしている。

    実はこの話は冒頭で何となく察知された方もいるだろうけど、とんでもない地獄をはらんでいる。社員の成長というものを会社がひとつも願わず、本質的に期待していないとしたら。

    経済がいいときの話かも知れない。社員の成長が会社の成長と言ってもらえたのは。

    初期教育をせず、現場任せ(任せますよ、と言っていればまだ救いようがあるが)だとしたら(つまり放任主義といった主義ではなくただの放置)。評価制度という枠組みはあるけど、前述の上司部下間のやりとりがなければ、評価制度のあるなしはあまり関係なく、いい歳して上司の方から訊ねるしか状況把握する手段がないとか、訊ねても報告の的を射ない、上司が何を求めているかがわからない、なんてことは珍しいことではなくなる。

    実は報連相は結構難しい。

    別に上司部下間でなくてもいいのだけれど、相手が同僚でもよくて、つまり、相手が欲しい情報を的確に伝えるのが報連相だろうから、相手の立場や自分の仕事の後工程の立場を理解していないとうまくいかないものなのだ。

    実際の現場では、報連相がなくて、でもなんとなく業務は進んでいて、リレーのバトンのようにバトンの受け渡しはしているけれど、そのバトンが今いったいどこにあるのかわからないし、誰も知らない…なんて状況…例えば、状況が変わっていつもより早めに仕事を進めなければいけない、トラブルがあって修正が必要、のようなことがあっても現状把握ができない、しづらいようなケース。一見流れ作業が円滑に回っているようにも見えるんだけど、イレギュラーに弱い。イレギュラーな状況にいちから現状把握しなければならないとしたら、これは大変だ。タイムリーに現況がわかっていたら、その場で適切な指示も出せよう。

    こういう状況でなぜバトンを受け流すだけのことしかしていないんだろうと振り返ったときに、どうやら教育らしい教育を受けていない、報連相?聞いたことあるなくらいの反応(上場企業じゃないと明確な初期教育はないかもしれない)、中途入社でいきなり現場に放り込まれた、という話にぶち当たるパターン。

    さて、システム上で業務上の期限や進捗報告を求めてくる会社がある。これはそういう時代だし、むしろ漏れをなくし、且つ会社が即座に現場の状況を把握するには好都合な仕組みではある。人間の上司が期限や業務の進捗を確認する手間や面倒を省ける…、負担を減らす、ことが本来の目的だったかも知れないけど、もしかすると、人対人の摩擦を避けるためだったり、今となってはロストテクノロジー(失われたスキル)みたいなもののような気もする。特に薬局なら、専門知識の教育なり体制はあってもマネジメントに関する教育はないのが普通。個人の能力で比較的できそうな人がやっているにすぎない。小売業でもよほど経営層に深い思想(想い)がなければ、それ用の教育はない。

    薬剤師として専門知識が豊富な人と薬局運営とは関係ないし、売場作りが得意な人と店のシフト作りも料理がうまい料理人と店舗経営はやっぱり関係がない。別の能力。

    でも、そこにお金がかけられないのがメーカー(製造業)と違うところ。これは粗利率の問題だからどうしようもない。



    話を戻す。お店や薬局といった職場単位の現場ではシステムを使って進捗管理することはない。毎日会う人同士は言葉でのやりとりがある。システムを介して、どうなってますか?と訊ねることはない。

    まぁ、”ない”とは言ったけれど、デスクワークをやる人の中にはひとこと本人に確認すればいいことでもメールで…という話も実は結構あるから、ストレスなのかもしれないね。

    仕事の核として、どんな仕事でも、期限までに業務を完了させるとか、もしできない(できそうにない)場合には前もって期限を再設定するとか、内容を修正、変更するとか、中止するとか、中止しても大丈夫なのかとか、中止や変更に妥当性があるのかとか、そんなことが日常的に行われているだろうけど、片方でそんな高等なことではなくて、基本的な社会人の姿勢や知識、行動として、わからないことはまずわかる人に相談する、教えてもらう(わからない人同士でごにょごにょ相談しても時間の無駄になりがち)とか、社内規定でデニムやジャージはダメということになっているけど、根拠は会社のルールではなくて、(特にお客さん相手の仕事では)、社会通念の面で違和感(不快感)を感じる人がいるということや、昼休憩は労働者の義務であり権利ではあるけど、労働契約書上は労働時間ではなくても拘束時間であるから、そうでなくてもどこに行くのかわからない状態で職場を離れることが同僚に迷惑をかけるかもということすら、教えなければ(教えなくてはならないのか?想像力の問題と一蹴する向きもあろうけど)、もし、そういったことを誰も知らない環境では、誰もその異常には気付かないということになる。店長や薬局長といった現場監督者(小単位の長)も教わったこともなければ自分から学びに行くことがなければ、そのまま知らないままだし、気付かないままとなる。中途入社か何かで他社での社会経験がある部下がいても、「上司に批判めいたことは言っちゃいけない」みたいな慣習(悪習だけど)がどこにでもあって、特に薬局には長以外にも薬剤師にも物申してはいけない風土があったりする。そうなると間違ったまま何年も過ごし、結構な年齢になる。

    物申してはいけない風土とともに相手に敬意なく失礼な物言いが横行する場…というよりこの辺はやはり家庭環境や育ちが反映しやすいのか、個人の問題に見えることは多い。

    だから、ここまで書くとほぼ躾の範疇かとも思えてくるけれど、上記のようにわざわざ法律や社内規定で定められていることでもあるから、やはり会社側が「こういうものですよ、守りましょう」という場があって然りではなかろうか。つまり、”外に出しても恥ずかしくない”ように。

    せめて、育ちがよろしければ、マナーとして「お昼(休憩時間)、ちょっと外出しますね」とかお客さん商売なんだからマッキンキンの金髪はダメだよね、とか考えるかも知れない。

    尤も多様性…がはやりですから、あまり今までの常識が通用しなくなってきてはいますけど。

    私も若かりし頃、母親から言われた言葉で当時は若干”学生気分”だったことに気付かされた一件があります。大学を卒業してすぐに真っ赤な外車を買おうとした私に「お客さん相手の仕事をするのにその車で出勤するの?駐車場に停めておくんでしょ?お客さんの家に配達もあるんじゃないの?」と。似たような話でだいぶ年齢を経てからある程度経験を積んだ部下から「お客さんよりいいものを身に着けるのはダメだと思うんです」と熱弁を振るわれたり。そんな昔の話ではないよ。でも、お客さん相手の仕事をそうとらえているというエピソードとしては大事な考え方。

    一方で、冗談みたいな「やりたくなーい」「そんなの無駄じゃね?」みたいなことが冗談ではなく、そのまま”やらない”ことに定まって(あるいは好きなやり方でやってしまう)、通用してしまうことも割とあって。何度も言うが、本当にやらなくも大丈夫な仕事というのが結構あったりして、まずます混迷を深めるのだけれど、マストな仕事でも結構簡単にやらない方向で進むことはままあって、「仕事なんだから」と諫めることが無駄なだけでなく、謂れのないパワハラのような身に覚えのない罪状でお咎めを受けたりするから、躾されていない(道徳観がないと言った方が正確か)環境、集団の中では十分気を付けなくてはならない。同じ日本で、そんなに時代差はないんだけど、急速にこの方向に加速しているような気がする。

    単独店舗で利益が出ているのは実は店の運営努力の割合は極めて少なくて、出店した時点(つまり開発の時点)ですでにある程度の規模が決まっている。若干乱暴だとは思うが、調剤薬局についてはその色合いが極めて濃い。隣接医療機関の処方箋発行枚数で決まるもので薬局は受け皿をやっているに過ぎない。処方医の人気か腕に依存している。

    当然、それが永遠に続くはずがない。一番簡単で分かりやすい例はその処方元の医師が何らかの理由で亡くなる、いなくなるという例。これは突然売上がなくなるし、時々耳にする。医師もにんげんだから。確率的にここまでレアじゃなくてもごく普通にドラッグストアはそこから溢れてくる処方箋を虎視眈々と狙っているし、日々誘導の営業をかけている。利用者(患者さんやご家族さん)も門前の薬局でもらう必要性は時間とともに薄れて医療機関の近所ではなく、自宅の近所のほうが便利だと気付く。ましてや隣接医療機関が出してくる処方の在庫すら確保できない薬局の存在価値はかなり低くなる(少なくとも門前薬局にはその隣の医療機関が出す処方薬は備蓄してあるという大前提があるし、それだけの連携をしているし、医師も安心して自分の考える治療をしたいからタッグを組んでいる…と思いたい)。門前の薬局に処方箋が増える要素は発行元の枚数が増える以外には難しく、新規開業開局後の自然増の後、衰退する方向の話はなるべく遅延させるしか手がない。もし、門前薬局の欠品が多ければ、衰退のスピードはさらに加速する。

    開発ありきだと言い切ったが、薬局運営が無力だとは言わない。でも、受け皿としての機能を発揮できなければ、ひはり存在価値を見出すのは難しくなる。

    教育がなければ、処方箋枚数が減ったら…いや減ってからでは遅いんだけど、みたいな商売の法則、ものの見方も知らないまま転がり落ちるように衰退、縮小することになる。現状分析の手法がなければ、他責にするのが人間の性で、よくはないけどやりがちなミス。典型例は「天気が悪い」。これは分析ではないし、永久に雨降りではないから合理性がない。売上が減少し始めるとみるみるうちに業務縮小が進み、仕事が減ってよかったね、なんて寝言が聞こえてきそうだけど、会社は遠くにいても人員削減の口実だけは目ざとく見付けるから、削れるものを削って数字上の利益は出すことぐらいはやってのける。若干飛躍はあるけど、日産は役員給与は変わらず(責任を取らず、という意味)、工場閉鎖して現場従業員をリストラ。薬局やドラッグストアのように大人数ではない業態では、人員は多いほど柔軟に動けるものだけど、業務縮小による人員削減の際は適正化ではなく、数字上の利益を出すためだけの人員配置をすることはままある。原則論としては売上と人員は比例するかも知れないけど、数字が小さくなると当てはまらない。いくら売上が少なくても最低限の人員配置は必要なもの。例えば売上1000万円に対し、スタッフ4人が妥当だとしても、売上500万なら2人、250万円なら1人、125万円なら0.5人と完全に比例させるのは無理が出てくる。きっと250万でも125万でも現実は2人必要みたいな話になるし、売上に関係なく定型業務はある。いずれにせよ、損益決算書も見たことがなければ適正かどうか数字で判断・反論できずしんどい人員で運営することを強いられる。

    体のいいリストラ策になりかねない。

    そういったビジネスパーソンとしての思考を身に付けず働き続ければ働き続けるほど、奴隷化する。上司を言い負かすのが仕事ではないけれど、目上の人に意見するとき、同僚でもいいけど、議論の根拠は数字。それを使いこなせなければ、決められたルーティンをこなすだけになる。さらにやらなくても上司からお叱りを受けずに済むなら、社員である必要もなく(いや会社も指示しなきゃいいんだが)、責任を負わないルーティンだけの業務なら、社員の給料は出ない(会社だって出したくないだろう)。同一労働同一賃金だから、社員と短時間のアルバイトで時給換算に差をつけるのはよろしくないけれど、責任ありとなしで時給に差をつけるなら、むしろ妥当だろうし、勤務時間が長いだけで責任のない社員は一体なんなんだろうとなるし、短時間の勤務だけど、責任をもって職場やお客さんに貢献している人たちが何人も思い浮かぶから、社員も社員の待遇に胡坐をかいていてはいけない。

    働く側がそういう地獄を見ないためにごく簡単でも初期教育は不可欠だろうけど、逆にうがった見方をすれば、戦後の共産主義者のように社員従業員を教育しなければ(知恵をつけなければ)、会社の思うとおりに働かせられる…まさかそんなことはないだろうと思いたいが、状況としては妙に腑に落ちる。

    いずれにしても、30歳、40歳、50歳になっても子供っぽいままだとしたら、それはそれで結構きつい。仕事の出来不出来もあまりに極端に出来ないと困るし、時々だけど、本当にどんな経験を…いや、そんなに経験を積まずに来られたのか?とやばさを感じる人もいなくはないけど、人間として、仕事人として歳相応のスキルと立ち居振舞いができないとそれだけで地獄ではないだろうか。

    とまぁ、立派なこと言っても言ってる本人がそうでもないから、だからこそ努力をね。