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  • 仕事に哲学があるということ

    わたしは何か具体策を提示したいのではない。もちろん、具体的な方が読みやすいだろうし、ちゃんと読んでもらえるんじゃないかとは思う。でも、そうしたくてもできないだろう? 自分が経験した業務業態ならそのまま書けばいいんだろうけど、私が伝えたいのは仕事の本質とはどんな仕事にも応用できることだということだから。だから、具体性に欠ける部分があっても、まったく異なる業界の人でもちょっと想像力を働かせて読んで頂けるとありがたい。

    そう、根底にあることは同じはずだと思っている。

    …世の中の啓発本やビジネス書をいくらかでも読んだことがある人なら、ある程度のところでやめるんじゃないかと思う。もちろん、具体的な知識や技術を得たい場合は…例えば最新の労働基準法の知識のように法律の変更で知識の方もアップデートしなくてはならない場合や新しい仕事や職務を得た場合に今までの知識では足りない場合など…都度、新しい情報を仕入れる必要はあるだろうけど。

    つまり、それは哲学だ。

    もう少し平易な言葉にするなら、考え方やモノの味方。

    哲学なくして、前には進めない。それができるとしたら、単なる無知か無鉄砲じゃないだろうか?

    『孫子の兵法』は具体的じゃないから、わかりにくいと言われ、ときに敬遠されたり、役に立たないとさえ言われるけど、読む人が読めば、どの世界にも応用可能な万能な哲学書だ。

    「こういうケースはこうやれ」などの指導書は言ってみれば手順書は会社のマニュアルのようなものでよくて、脳みそは必要とはしないし、目的が違う。会社が最低限機能するためのものだし、ここで言っている哲学は今ある業務をもっと効率的にできないか、あるいは事故が起こりやすいから安全に完了できないか、今でも仕事のほとんどは人間が動かしているのだから、職場の人間関係は重要なポイントだろう、とかそういった視点で役に立ちたいと思っているから、書いている。

    でも、さっき、世の中にはそういった啓発本やビジネス書はあふれて居るって自分で言ったよね?

    言った。

    わたしもいろいろ読んでみた時期があって、ほどなくしてやめた。尚且つ最初の10%を読めば、全部読まなくてもほぼ本質はつかめることにも気付いた。

    全部読まないと最後までネタが尽きない本は小説の他はさきほどの「孫子の兵法」のような古代の人たちが記した指南書くらいだろう(別途、オススメ一覧は作ろうと思います)。

    わたしが言っていることは…孫子と競うつもりはないけれど…それに近い。ただ、孫子の場合は戦略・戦術思想だから、もう少し戦闘に生かせる目線であればいいなと思っています。そこに本質を見出して頂けたら…そう思っています。

  • 仕事との距離の置き方(その3)絵画

    絵はずっと描きたい衝動はあったんだ。

    でも、描きたいものが思い浮かばないし、まじめにデッサンという気分でもない。そもそも高校の美術の授業以来ちゃんと習ったこともない。もっと描きたいものを描きたいというシンプルな衝動でいたかった。だから、折に触れてスケッチブックは買ってみるけど続かなかった。

    ある時をきっかけに変わった。

    ひとつは万年筆。

    もうひとつはテレビを見なくなったこと。

    たぶん、この2点で説明し切れると思う。

    万年筆を使い始めたきっかけ自体はよく覚えていないけれど、大人の筆記用具を持ってみたかったんだと思う。少しいいものも買ってみたけど、結局絵に適していたのは一番安いKAWECOの万年筆だった。その中でも持ちやすさでパケオというシリーズで、恐らくブランドの中で一番安いモデルではなかろうか。

    これがよかった。万年筆で線を引く感覚が気持ちいいのだ。これは確実にうつに奏功したに違いない。

    そうはいっても素人のお絵描きには違いないので、道具にお金をかけるのもなぁと控え気味だった。でも、そのうち色鉛筆に手を出した。最終的にはホルベインがよかったような記憶がある。色鉛筆で満足しようとその時は思っていたのに、絵の具に手を出した。でも、知識がないので、高校の美術の時間に多少使ったことのある、アクリル絵の具を手に入れた。やはりホルベインだった…といっても日本海側の田舎都市で絵の具を買えるところなんてそうはないんだよ。ホルベインは某ホームセンターにもフルラインナップで置いているし、オンラインでも購入可能。

    そもそもアクリル絵の具には2種類あって、ポスターカラーのようにベタ塗りしかできないタイプと重ね塗りして映えるタイプと2種類あった。当然後者。

    ただ、技術的な話にはなるけれど、絵の具は混ぜれば混ぜるほど濁る。なるべく少ない種類でイメージする色に近付けないときれいな色にはならない。

    そもそも絵が描けるようになった、つまり描きたい絵がイメージできるようになったのはテレビを見なくなったことだ。これは間違いないと思う。

    当時、自分の部屋は2階にあったけど、わんこが年齢とともに階段の上り下りができなくなった。それなら自分は1階に居を移せばいい。ただ、残念ながら1階にはBSがつながっていなかった。その頃すでにテレビといっても大河ドラマくらいしか見ていなかったんだ。がちゃがちゃしたバラエティーだのどこかの企業のマーケティングを反映させた情報番組なんて、脳みそのゴミにしかならなかったし、そもそもうつの脳には受け付けなかったんだろう。

    そんな経緯から脳みその中のゴミが徐々に排除されたんだと思う。

    3年半で300枚描いた。

    狂気の沙汰…ではなく、頭に描かれたものを写しているだけのことだった。

    当然、脳内でのイメージ化の方は早く、手で描く方はそれより劣る。そこは若干の根気が必要だった。描く方の技術は誰かに教わったわけではないから、下書きだけで終わっている作品もあった。でも、いつか続きは描くと思う。

    この1年は転職もあって、だいぶ描くペースは落ちてしまったけど、描くというベースはできているからいつでもまた描き始められる。絵の具は使わないでいるとだんだん固まっていくからそれだけは気になってはいるけれど。

  • 仕事との距離の置き方(その2)

    20代30代と仕事に明け暮れた。

    40代はうつでほぼ空白の時代だった。

    その40代後半になって、気付きがあった。うつが好転したからかも知れない。でも、誰かに言われたわけでもなかったと思う。

    「若いときに忙しさを言い訳にして諦めたことをそのままやらずに死んでいいのか?」ということだった。

    そもそも海外で医療をやりたかった。それなら初志貫徹、医師免許を取る道に進むべきだった。でも、そこからつまずいた。思えば学業成績よりも気力との戦いだった。

    自分でいうのもなんだけど、持て余した。

    100%順調とは言わないけれど、ごく世間平均から見れば、十分順調だったと思う。

    ドラッグストアの店長も調剤薬局の薬剤師も薬局長も…それなりに短期間で形にはなった。もちろん極めたわけではないけど、いつも2年で異動だった。

    だから、多彩な経験を積むことができたし、今それをネタに人様の役に立つものを考えられるようになった。

    が、しかしだ。それは仕事人としての満足(自己満足に陥らないようにこうして世に出す努力を始めたのではあるが)。

    個の自分はどうだ?

    やりたかったことはやれたか?

    続けたかったことは続けられたか?

    どれもYESとは言い難かった。

    音楽は子供のころから何かしら続けてきたけど、社会に出てからというもの途端に時間がなくなった。

    海外で仕事するための準備はできたか?学生時代英語の成績は優秀で、その勢いに乗って映画は字幕なしで観るようにしていて、英語脳を獲得できたような気になっていたけど、映画自体見る機会がなくなった。

    コロナウイルス感染症パンデミックの直前頃、目覚めたんだ。

    このまま仕事だけやって、やりたいことをせずに死んでもいいのか?10代の頃、ロック少年だった自分は(今もロック少年だが?)明日死んでも悔いない生き方をするというのがポリシーだった。それはつまり、いつだって真剣に取り組んで手を抜かずやり遂げることだったはずだ。

    その精神は仕事にも活かされただろうから、決して失われたわけじゃない。ただ、方向が偏った。

    40代後半の一番の変革は語学と絵画、そして遠征。

    長くなったので、続きはまた後日。