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  • 自分の頭の中だけで仕事をすると…

    地頭というんだろうか、深い思考性を持った人は生きる力があるし、思考力だけでなく、情感も豊かだったり、周囲に配慮ができる人間らしい人間のような気がする。

    一方、自分の頭だけで思考してしまう人は文字通り”してしまう”から、自分では気付いていない。

    仕事でもなんでもたいてい相手がいて世の中が動いているから、相手との意思の疎通なく、自分の頭だけで考えてもうまくいくはずがない。

    もちろん、”配慮”や”気遣い”のような形で自分の中だけで考えるケースは十分ある。でも、それは相手をよく見ていたり、普段接する中で情報をキャッチしていて、”配慮”や”気遣い”のベースになる根拠や背景を持ち合わせていて初めて成り立つものだろう。

    わかりやすい表現として、”思い込み”が当てはまる。

    世の中の人は自分も含めて平凡な人間の集まりで、ひとの気持ちや立場、状況、状態を本人から情報を得ることなく、キャッチできるような超能力者はいない。

    これはコミュニケーションが大事とかいう単純なことではなくて、それすら考慮されず(つまり、コミュニケーションは大事だよね、という認識が時々でもなされず)、個々が独断で物事を進めている状況がそこかしこにあるのではないかという懸念だ。

    まぁ、”在る”のだから既に懸念ではないのだけれど。

    例えば、「訊いてくれたら」と親切心のつもりでいうケースは多々あるけれど、全体的なレクチャーもなく、疑問を持った順に訊ねろという態度には辟易する。

    既にどこかにも書いたけど、ずっとその職場にいて全体像を把握している人が全体像を示さず、全体の流れをレクチャーせず、新しく来た人に「訊きなさい、何でも答えますから」という姿勢は怠慢というものだろうし、なんとも効率が悪い。もっとも職場の労力が必要なスタイルになる。

    例えば、まっさらな新人ではなく、ある程度経験のある人間であっても…むしろ、そういう経験者へのレクチャーは高等技術かも知れないが、それこそその経験者の力量を把握する作業なくして(できることとできないこと、知っていることと知らないことの仕分け)、その経験者の欠けていることを補う作業はできまい。

    ”頭の中だけで思考(仕事)してしまう”ことの弊害はこういった類例を示しても示さなくても、まずいことなんだ。なのに認識されず、そのまま放置されている職場がいかに多いことか。