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  • 彌彦神社とポールポジション

    ↑令和8年6月27日(土)

    普通にほぼ満車状態のお昼ごろ。

    ↓令和8年5月27日(水)

    ↓令和8年5月10日(日)

    時々一の鳥居に近い駐車場に停めさせて頂くこともあるので、統計的にはだいぶバイアスがはさまりますが、この第一駐車場に停める時は直近3回はポールポジションです。

    あくまでも混んでいるときは近いところが空いている法則がそのまま当てはまったまでです。

    スピリチュアル界隈の方からすれば、不敬だの信仰心がないだの言われそうですが、駐車スペースが空いていることと信仰心は関係がありません。

    神様が空けて待っていてくれたかどうかは確かめようがありませんし、いずれにせよ、私は感謝しています。

    私がお邪魔するタイミングで一番近い駐車スペースが空いている確率はそれでもかなり低いでしょうから、何かのお力が働いているのかも知れません。

    ただ、以前にもお話ししましたが、誘導の係のいない駐車場では起こり得ることです。空いたところから埋める力学が働きませんから。

    神道は…神の存在を信じる宗教ではないと思います。

    もちろん、人生生きていれば、見えない力に救われたり助けられたり、大きな力に人生を動かされたり、そういったことを感じたことがないではありません。

    でも、神道は…私は神職でもなければ、専門家でもありませんから、多少の間違いや勘違いは見逃して頂きたいのですが…そういった力の背景にある神の存在云々の宗教ではなく、よきにつけわるきにつけ、感謝する宗教なのではないでしょうか。

    助けられたり救われたら、感謝すればよく、もし悪いことに巻き込まれてひどい目にあったとしても、運が悪いとかそういうことではなく、何か教訓や示唆があったのではないか、それに対して感謝すればよく、主語が誰であるかは必要のないこと、意味のないことなのではないでしょうか。

    確か司馬遼太郎先生だったかと思うのですが、中国の宗教は”天”の発明から始まると言っていたかと思います。祖先崇拝と天という人智を超えた存在。

    神道はそれに擬人化が加わったのでしょうけど、それも明治以降の国家神道の影響…というか明治政府の方針だったのか、それまで神社にどの神様がお祀りされているのかいちいち明確にしていなかったと聞きます。それこそ不敬で神様の名前を口に出してお呼びすることなどありえなかったわけです。

    尤も明治政府のおかげで古来の神様を書き換えられてしまって、本当によくわからなくなってしまった神社もあるようですが。古事記日本書紀に登場しない神様は改めよ、というあれです。

    古代までさかのぼれば、さらに神社という建造物が出現する前の時代にはそもそも名前があったのか…。

    そういった原点は想像するしかないけれど、どの神様かなんという名前の神様か…あまり意味はないのではと思ったりします。

    さて、神様が駐車場の一番いいところを空けて待ていてくれたとすれば、それはありがたいことですが、神様はそんなことしなくていいんです。ただでさえ、あれこれお願いされるんでしょうから。商売繁盛、家庭円満、縁結び、受験合格、病気平癒、交通安全…。

    私は…僭越ではありますが…そんな忙しい神様に少しでも些末な心配をさせないよう、しょうもない神頼みが増えないよう、影でね火消しをさせて頂いているまで…。

  • 彌彦神社(越後國)

    二礼四拍一礼。

    代表的なのは出雲大社がこの御作法でお詣りします。

    単純に出雲系?と考える向きもありそうですが、御祭神の天香山命は饒速日尊の子で尾張氏の祖神、異母兄弟に宇摩志麻遅がいて、こちらは物部氏の祖神。

    御当地、彌彦神社では古式の参拝形式を残している、というような説明をしているようで、出雲との関連は述べていないようです。

    古ければ四拍、だといろいろ引っ掛かります。もちろん、明治維新以降の国家神道を推し進める政策の中で、整理されたものもたくさんありそうですが。

    古くて、尚且つなんらかの系統に乗っているから四拍、となればスッキリしそうなものなんだけど。

    となるとキーワードは物部氏。

    物部氏がこの辺りや日本海側、東北にかけて勢力を張っていたのはそんなに違和感のある話ではない。二田物部神社もあるし、一方、出雲っぽい地名もある。出雲崎もあれば、ずばり出雲もある。おまけに大神系の神社もぱらぱらと見つけることができる。起源まで調べていないので、意外と新しい時代に定まった地名や神社だとあてにはなりませんが、出雲型の古墳(四隅突出型墳丘墓)は北陸三県くらいならいくらかあったはず。

    だから、何かしらの所属部族単位の古式が残っている可能性はたぶんあるんだろうなと。

    ここで終わってもいいのですが、ずーっと気になっているのが、物部氏の出自。

    古事記では神武東征以前に大和を治めていた、しかも同族である神宝も携える饒速日尊を祖とするのだから、これを真っ正直にとらえるなら出雲系ではない。

    けれど、結果的には神武天皇に実権が移り、古代史ファンをもやもやさせたり、わくわくさせたりする。

    結局のところ、饒速日尊含め、物部氏がどこから来たのか…。

    単純に出雲族との結びつきが濃ければ四拍の謎は解決なんですけどね。