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  • 『日本教』

    あやしげな宗教の話ではないので、ご懸念なきよう(笑)

    私の中で日本独特の宗教観をこう呼んでいる、というお話です。

    いわゆる初詣は神社に行き、結婚式は教会、お葬式はお寺、12月にはクリスマスを祝い、最近ではハロウィンとかイースターも祝う…というか騒ぐネタになる、という日本人の習性を個人的にはいいじゃねぇのぉ?と許容しています。

    まぁ、毎年渋谷で大騒ぎというのはまた別の話で、ひと様に迷惑をかけるのはちょっと違う。

    それはさておき、なぜ日本人の宗教観として認めたらいいんじゃないかと思うかというと、そんなに日本人のDNAから逸脱してはいないんじゃないかと思うから。

    恐らく、今後このサイトで何度か繰り返し述べることもあろうかと思うのですが、外来のものを受け入れる習性は昨日今日のことではない、ということです。

    多分、文化とか習慣的なことは理解しやすいんだと思います。明治維新で西洋文化が入ってきて、洋服着たり、肉食をするようになったり。ただ、心のよりどころたる宗教、信仰は抵抗があるから、日本人おかしい、になる。

    確かにキリスト教もイスラム教もユダヤ教も同じ神様を崇拝しているのに敵対関係にあるんだから、キリスト教徒がイスラム教のお祭りを祝うなんてことはあり得ない。わかります。

    でも、すでに”同じ神様を崇拝しているのに”、”のに”と言っている時点でこれは日本人の習性が挟まっている。もう少し分解すると、同じ神様を拝んでいるんだから、仲よくすればいいのに、なぜけんかするの?という感覚になる。

    「Aというアイドル好きなんだよね」「そうなの?!私も!いいよねぇ!」てなるじゃん。

    「Bってギタリストが好きなんだよね」「は?お前にBの良さなんてわかんのかよ?」

    あ、後者なのか?

    神様と一緒にするなとおっしゃるんでしょうけど、一緒になっちゃうのが日本。

    『国譲り神話』というものがある。出雲が治めていた国を大和が「ほしいからちょうだい」っていった事件。誰も天照大神を止めなかったんすかねぇ。そこは本題ではないので割愛しますが、最終的に出雲を巨大神殿に祀ることで契約成立となった。いろいろ裏話はありそうですけど、少なくとも出雲の神様を神社に祀ることになったのは間違いない。恐らく出雲と大和では信仰が異なるというより、民族、DNA、そもそもの出自が違ったのではないかと思います。でも、神社という枠組みの中で祀ることになった。本音かどうかは別として、出雲の神様はそうしてくれたらいいよ、って。

    民族的に別系統と思われる神様を一緒に祀るということを神社はやってきました。客人神(まろうどがみ)やアラハバキが典型でしょうか。

    挙句の果てに怨霊すら祀る。受験のたびにお詣りするあのお方や権力争いに敗れた高貴なお方、上司に追い込まれて三度おみくじを引いて謀反を決めたあのお方も祀られています。

    ちょっと違うかも知れませんが、沖縄のどこだったか、どんな悪人も7代経てば神様になるそうです。

    根底にある感覚はみんな同じ。敵も味方も神様も悪霊も区別がない。まぁ、なんだったら敵とか悪霊こそ祀りたいのかもなぁ、とは思いますが、かといって、神聖な神社に敵や悪霊を入れないなんて料簡の狭い話はないから、これは脈々と流れ続けてきた日本人の精神なんだから、これでいいんだと思う。