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  • 洩矢神社(信濃國)

    諏訪信仰を語る上で、どうしても外せないのがここ。詳しいお話はいずれするとして、建御名方神以前は洩矢一族が奉斎する神様だったはずです。

    建御名方神も敗軍の将であり、なぜかこの諏訪の地を選んで逼塞することになります。一時は洩矢一族と交戦状態になったはずですが、大和式?の取り込み策で洩矢一族も諏訪の祭祀に取り込んでいきます。

    この洩矢神社は諏訪の神に上書きされずに我が神として祀り続けた場所だったのではないでしょうか。

    諏訪という地に来たら来た分だけ、いろんな層を見付けることになり、神長官として取り込まれた洩矢一族は無視できない存在です。

    故にいつかお訪ねしようと気にかかっておりましたが、注連縄の紙垂を見てわかるようにどうも歓迎されていないような気がしてならない。暴風といっていい。もちろん地形的には山の斜面であり、諏訪湖に開ける街道の近くですから、隘路を通る風が圧縮されて強くなることはあるでしょう。

    しかし、鳥居をくぐる前は何もなかった。くぐって拝殿に近づけば近づくほど風が強くなる。

    この日は前日から5月としてかなり暑い日で何か気圧差が生まれたのかも知れないけれど、タイミングが絶妙すぎる。風以外の圧、威圧といっていい恐怖感。

    これは速やかに退散するに如かず。

    歴史資料としては重要な場所ですが、今後は遠慮しましょうか…。

  • 須々岐水神社(信濃國筑摩郡)

    ご当地開拓は卦婁真老(けるのまおい)を中心とした高麗系のひとたちだったようです。

    のちに須々岐氏を賜姓され、平たく言えば帰化したということなんだと思うのですが、当然、その前から当地の開拓に尽力されていたんだとは思います。

    興味深いのはこの朝の時間帯にちゃんと朝日を拝む形の配置になっていること。

    聞くところによれば、寺院建築が中国から輸入された頃から、大きめの建物は南向きになったそうで。いわゆる「指南」の語源にも通ずる、南を意識した文化が定着していったようなのですが、それは中国大陸あたりの気分で、日本列島では朝日を拝む形が原形だと思います。

    うろ覚えですが、「寺」という文字もそもそも仏教の建物という意味ではなく、大きな建物くらいの意味だったような…。

    きちんとした神社建築がない、小規模な古代祭祀の痕跡を感じさせる場所ほど、実はお日様をお詣りする形になっているところが時々あります。

    もっとも時代とともに建て替わったりして、向きが変わることも全然ありそうですが。

    ふと…壱岐の月読神社の向きは…気になりますね(笑)

    GoogleMapを見ると東南方向に拝む形…ちょっと考えすぎだったかも知れません💦

    どんな文化であれ、どんな民族であれ、太陽を拝まない信仰ってないと思うんですよね。程度の差はあっても。

    話はおひさまの話中心になってしまいましたが、須々岐水神社の神様は渡来の神様か薄川の神様か…。どっちもありそうだけど、中世の諏訪系の影響を受ける直前は水の神様かな。現実的な生活を守るための。更にその前となると、自分たちのルーツを示すような大陸の神様というのが自然だと思うんですけどね。

    ちょっとこの辺は想像です。ありそうな想像をしてみたまで(笑)

    この時見てこられなかったんですけど、針塚古墳というのが松本市内にあって、積石塚なんですって。帰ってから知りました。積石ってなんとなくイメージは朝鮮タイプな感じがするんですよね。須々岐氏が高麗出自と言っているんですから、このあたりに勢力があったって不思議ではありません。

    お社の写真はやはり神様降臨っぽい感じを頑張ってみました。朝の時間はこういう画が撮れます。

  • 塩野神社(信濃國小県郡)

    御神体は「水」だそうです。

    奇しくも当日は雨天。

    御祭神は出雲系の神様。

    生島足島神社の御神体が「土(日本列島)」なので、縄文後期から弥生時代の稲作の神様とは言い切れない…言えないと思っています。

    もっと古い時代の「土」は稲作以前の土から草木が生える、あるいは蛇や蛙や蝉…などが土の中で一定期間暮らし、時機を見て土から這い出てくる、そんな素朴な生命への畏敬…そうもっともっと素朴な信仰があったのではと。

    「水」もやはり稲作に必要とかそんな大層な話の前に、魚などの生物が暮らす場、のどを潤す水、もしかすると災害の原因としての水…もっと素朴な原始で原子な感覚だったんじゃないかと。

    だから、縄文からの層、稲作が始まってからの層があるんじゃないかと。出雲の神様が勧請されたのが1300年前の天武帝の御代(塩田まちづくり協議会サイトより)。結構最近ですので、その前歴のほうが重要。恐らく、1300年前に初めてこの地に信仰の場ができたとは考えにくい…。集落もずっと前から存在していただろうし。何かが更新された時期なんだろうけど。

    ご当地は小高い丘であり、この奥は山です。

    ちなみに天武天皇といえば、皇祖神が天照大神に定まった時期の天皇。まだ、地方は地方の気分で「出雲の神様がいいんじゃね? 諏訪の神様も近いし。」と勝手に妄想。