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  • 生島足島神社(信濃國小県郡)

    諏訪の神様が諏訪に入る前にお立ち寄りになって、なにやらやりとりがあったという伝承がありますから、その前からこの地におわした神様ということになります。

    そりゃ、ご神体がこの日本の地面なのですから、日本列島ができた時から、いらっしゃったわけです。

    ふと日本書紀の序盤に「一書に曰く…」に泥の神様がいたな…と調べてみますと「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)」が登場します。この”ひこぢ”は泥の古語だそうです。だからといって泥の神様かどうかはわかりませんが、原初的な神様には違いなく、であれば、泥の神様でもまったく不思議はなく、生を育む大地を祀っているあたり、神道の起源っぽくていいじゃないですか。

    ただ、日本列島をご神体としてお祀りすると、日本中で日本人が踏みつけにしているわけで…。拝殿の前だけ撮影禁止になっていましたが、その程度でええんか?と恐縮したくなる…。

    世界中に神様はたくさんいらっしゃいますが、中国のように「天と地」という概念的な感じ方ではなく、植物を育て、その植物を食べて生き物が命をつなぎ、すべての生を育む大地という概念はほかにも例はあるのでしょうか。

    とまぁ、ChatGTPに訊いてみたら意外と世界にもいらっしゃるようなので、機会があれば調べてみてください。

    ただ、少し興味深いのは「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)」も土そのものというより、生命力を神格化しているんですよね。そういうところに古代人の想像力の深さを感じます。生に対して敏感な感性。古代人の感性は尊すぎです。

    さて、こちらの生島足島神社は科野国造の本拠地だったそうで、そうなるとちょっと話が変わってきます。

    神武天皇―神八井耳命―?―武五百建命(初代科野国造)

    建御名方神と生島神・足島神との交流時代とはまったく別物で、科野国造家はずっとあとになって当地に入ってきたんだと思うのですが、入ってきた後も御祭神を大和風にはせず、元々の神様を客神に書き換えなかったのは賢明です。

    ”入ってきた”と書きましたが、まさか「こんにちは」と軽い感じでやってきたわけではないでしょう。国造は在地の支配者が大和に取り込まれて”国造”に任命されたものと思っていましたが、もし、上記の系図のように大和系の人たちの派遣であるなら、「こんにちは」ではなかったでしょう。

    そもそも、神社の御祭神書き換えに見るああいうやり方って、ちょっとおかしいと思うんですよね。何か平和的に在地の神様を取り込んだ(地域を支配した)みたいな顔をしていますけど、「どけっ」て弾いたに過ぎない。

    科野国造家に良識があったかどうかはわかりませんが、余計な恨みを買わずに済んだはずです。

    こういう見方をすると、また違った見え方がするかも知れません。層が変わっているのに御祭神がすり替わっていないケースもあれば、重層とともに古い神様の扱いが変わった形跡がある場合。単純に前者は外来者が浸透していった印象を受けるし、後者は強硬に立場を奪ったニオイがします。いずれも落としどころを模索した可能性はありそうですが、背景となるプロセスは違いそう。

    在地の人間(支配を受ける側)としても柔軟に受け入れた場合と何かしらの抵抗をした場合と違いがあったかも知れません。

    稲作の受け入れも波状的に普及したのではなく、ムラによって、やるorやらない、があったようです。最終的には備蓄できる米に惹かれていったのかも知れませんが、その前から、採集生活一辺倒ではなく、”栽培”つまり、種や苗から植物を育てて、食料を確保するくらいのことはやっていたんですから、差し迫って稲作を導入する理由はなかったはずです。

    そう考えると大和系の支配というのはそれほど強大ではなく、むしろか細く、武力より交渉や浸透に頼った部分が大きかったんじゃないですかね。もしかすると日本武尊伝承はあまりにもシンボリックすぎて、実在性を疑われるのも無理がないかも知れない。

    そういう意味では敵対的なM&Aではなく、友好的なM&Aのような印象がありますけど、やはり、強硬的にやった地域もあれば、そうでもない地域もあって、というのが現実のような気がします。

    客神と言えば、氷川神社を思い出しますが、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造として奉崇した(出典:武蔵一宮 氷川神社HP)と言いますから出雲神を祀るのは通りですが、客神たる門客人神社の御祭神が稲田姫命のお父さんお母さんですから、ちょっと支配。被支配の関係ではなさそうです。

    ちなみに手長神社・足長神社は諏訪にあります。出雲神話に出てくる毎年娘をさらいに来る龍は越國から来ていることになっており、素戔嗚尊が龍を退治する舞台は勝手に出雲だと思い込んでいます。龍を倒した見返りにもらい受けた稲田姫命もそのご両親もなんとなく出雲人だと思い込んでいます。一応、出雲市の須佐神社の神主家・須佐氏は脚摩乳命・手摩乳命の後裔としているので、やっぱり出雲人で収まりはいいのですが、諏訪や氷川神社の門客人神社は若干違和感を覚えます。

    あれこれ考え始めるとキリがないのですが、いくらかパターンはあるとしても、一筋縄ではいかないようです…。