カテゴリー: 神社/御嶽・歴史・民俗

神社/御嶽に見る日本民族の歴史、民俗、信仰について。

  • ご先祖様のこと(戸籍謄本からわかること)

    父方のご先祖様は高岡城の門前町と言っていいのか、とにかくお城の前に住んでいた。

    これは戸籍を遡るだけでわかる。

    ただ、このお城の前のおうちはうちから見れば総本家みたいな感じで苗字も違う。仮にa家とする。明治初期に分化したのを仮にb家。更にそこから分家したのがうち。b家とは苗字は同じなのでb’家とする。

    b家は今でも高い石垣で囲われたお屋敷と言っていいおうちを構えている。薬局だったようだ。でも、ここんちに免許がなかったようで、分家たるb’家の娘(私から見れば祖母)に薬剤師免許を取らせ、b家に免許を貸していたんだそう。

    一応、言っておくと当時の免許貸しはそれほど行政の指導も厳しくなく、祖母は十分貯え、二浪してやっと入った(私から見て)親父の医学部の学費も賄えた。伯母も京大だったと記憶しているから、経済的にも頭脳的にも教養的にも優秀だったことがうかがえる。

    もう少し説明を加えると祖母の薬剤師免許だけで何もかも賄えるほどだったわけでなく、本家も総本家も今では考えられないほどの財力がもともとあって、できたことだと推測している。

    さらにちなみにb家は総本家の次男だからまだわかる。明治6年2月に役所に届け出ている。

    一方、b’家は五男坊。次男から5男までみんな分家できるほどの財力がありましたという話ではなく、次男は日露戦役で戦死、三男は夭折、4男は…少々お行儀のよくないお方だったようで、でも紆余曲折があって最終的には20代半ばで分家。ただ、地元ではなく東京市へ。

    私から見て直系の曽祖父の五男さんも恐らく紆余曲折があって20台も半ばを過ぎて分家。それまで何度か養子縁組→離縁を繰り返し、それが当時としては普通だったのか、よくはわからない。chatGTP曰く、”紆余曲折”があったととらえるお答えであった。

    いずれにせよ、それなりの財力と子供たちに教育を受けさせるだけの教養があったおうちだったのは確かだし、そのうえで相当の土地(農地)も抱えていたようだから、収入減に困ることはなかったのだろうと推察。

    今のところ、気になるのは明治維新までの稼業。居住地は戸籍謄本でわかっているので、古地図からどういう町に住んでいたのか、どういう職業に人が住んでいたのか、稼業まで絞り込めるか、というのがポイント。

    自分のルーツを知りたいだけなんだけど、時間というものは当然近い順位わかりやすく、さかのぼればさかのぼるほどわからなくなる。当然、時間軸順にさかのぼると、近いご先祖様のことを知れる。でも、戸籍謄本だけだと職業はわからない。

    高岡城は江戸幕府開府の頃に廃城となっており、同時に武家は石川県側に帰っている。一方、町人クラスは帰りたくても引き続き高岡で暮らすことを強制された。だから、ご先祖様が武家だった可能性はかなり低く、安く買い叩かれたお城の前の門前町にいつの頃からか住んでいた…。ついでに高岡廃城の際に街道筋もだいぶ改造されたようで、高岡城付近は賑わう場所ではなかったよう。むしろモノづくりなどの職人町が発達した…と想像はするけれど、これは調べればすぐわかりそう。

    一時期、自力で図書館の本を調べたけど、なかなか続かなくて、近いうちに図書館側の協力を得て調べようかな。

  • 神様は呼ばない

    神様に呼ばれないと行けない神社があるそうな。

    それをしっかり否定している神職の動画もあったりするが、神様はそんなにヒマじゃないんじゃないかな。

    私は割といつも入口に近い場所に車を停めさせて頂いています。だって、空いてるもん。

    これは神様に優遇されているのではなく、そんな入口に近い場所は空いとるまい、という人間の心理からくるもので、偶然でもなかったりするんじゃないかな。空きやすい場所。つまり穴場というだけのことじゃないかな。

    たぶん、これが誘導員がいらっしゃるような駐車場となるとちゃんと隅から順に埋まるでしょ?

    スピリチュアルを全否定するつもりはないんだけど、割と合理的に考えるとそれほどズレてない説明が付けられる。

    もちろん、神様への感謝に気持ちが向くのはいいけど、どうも選民思想の観があってイヤ。

    もちろん、そういう気分によって気持ちが上向きになったりして、結果神様に感謝するようなことが起きるかも知れない。でも、それを言ったら、神様のお力というより、その人の気持ちの持ちようが大事だって話になる。かといって、そういう気分になれたのは神様のおかげだろうから、感謝はしなきゃ。

    それが信仰なのかな。

  • 彌彦神社の禊場(越後國)

    禊場があるところ、それが神社の入口。

    大きな神社だと入口が複数あって、もちろんどこから入ってもいいんですけど、本来は禊をしてから神域に入るのが御作法でしたので、入口に禊場を設けることになります。

    或いは禊の神様、瀬織津姫を祀った社が入口に鎮座しているパターンもありますが、意味合いは同じじゃないでしょうか。

    手水ももちろん使用目的は同じなのですが、時代とともに簡易的な手水舎になっていったのかな?

  • 彌彦神社(越後國)

    二礼四拍一礼。

    代表的なのは出雲大社がこの御作法でお詣りします。

    単純に出雲系?と考える向きもありそうですが、御祭神の天香山命は饒速日尊の子で尾張氏の祖神、異母兄弟に宇摩志麻遅がいて、こちらは物部氏の祖神。

    御当地、彌彦神社では古式の参拝形式を残している、というような説明をしているようで、出雲との関連は述べていないようです。

    古ければ四拍、だといろいろ引っ掛かります。もちろん、明治維新以降の国家神道を推し進める政策の中で、整理されたものもたくさんありそうですが。

    古くて、尚且つなんらかの系統に乗っているから四拍、となればスッキリしそうなものなんだけど。

    となるとキーワードは物部氏。

    物部氏がこの辺りや日本海側、東北にかけて勢力を張っていたのはそんなに違和感のある話ではない。二田物部神社もあるし、一方、出雲っぽい地名もある。出雲崎もあれば、ずばり出雲もある。おまけに大神系の神社もぱらぱらと見つけることができる。起源まで調べていないので、意外と新しい時代に定まった地名や神社だとあてにはなりませんが、出雲型の古墳(四隅突出型墳丘墓)は北陸三県くらいならいくらかあったはず。

    だから、何かしらの所属部族単位の古式が残っている可能性はたぶんあるんだろうなと。

    ここで終わってもいいのですが、ずーっと気になっているのが、物部氏の出自。

    古事記では神武東征以前に大和を治めていた、しかも同族である神宝も携える饒速日尊を祖とするのだから、これを真っ正直にとらえるなら出雲系ではない。

    けれど、結果的には神武天皇に実権が移り、古代史ファンをもやもやさせたり、わくわくさせたりする。

    結局のところ、饒速日尊含め、物部氏がどこから来たのか…。

    単純に出雲族との結びつきが濃ければ四拍の謎は解決なんですけどね。

  • 榛名湖(上毛野國)

    榛名湖は1年経たず2回行きました。

    山と湖が好き。

    湖の青色がうまくでた1枚。

  • 『日本教』

    あやしげな宗教の話ではないので、ご懸念なきよう(笑)

    私の中で日本独特の宗教観をこう呼んでいる、というお話です。

    いわゆる初詣は神社に行き、結婚式は教会、お葬式はお寺、12月にはクリスマスを祝い、最近ではハロウィンとかイースターも祝う…というか騒ぐネタになる、という日本人の習性を個人的にはいいじゃねぇのぉ?と許容しています。

    まぁ、毎年渋谷で大騒ぎというのはまた別の話で、ひと様に迷惑をかけるのはちょっと違う。

    それはさておき、なぜ日本人の宗教観として認めたらいいんじゃないかと思うかというと、そんなに日本人のDNAから逸脱してはいないんじゃないかと思うから。

    恐らく、今後このサイトで何度か繰り返し述べることもあろうかと思うのですが、外来のものを受け入れる習性は昨日今日のことではない、ということです。

    多分、文化とか習慣的なことは理解しやすいんだと思います。明治維新で西洋文化が入ってきて、洋服着たり、肉食をするようになったり。ただ、心のよりどころたる宗教、信仰は抵抗があるから、日本人おかしい、になる。

    確かにキリスト教もイスラム教もユダヤ教も同じ神様を崇拝しているのに敵対関係にあるんだから、キリスト教徒がイスラム教のお祭りを祝うなんてことはあり得ない。わかります。

    でも、すでに”同じ神様を崇拝しているのに”、”のに”と言っている時点でこれは日本人の習性が挟まっている。もう少し分解すると、同じ神様を拝んでいるんだから、仲よくすればいいのに、なぜけんかするの?という感覚になる。

    「Aというアイドル好きなんだよね」「そうなの?!私も!いいよねぇ!」てなるじゃん。

    「Bってギタリストが好きなんだよね」「は?お前にBの良さなんてわかんのかよ?」

    あ、後者なのか?

    神様と一緒にするなとおっしゃるんでしょうけど、一緒になっちゃうのが日本。

    『国譲り神話』というものがある。出雲が治めていた国を大和が「ほしいからちょうだい」っていった事件。誰も天照大神を止めなかったんすかねぇ。そこは本題ではないので割愛しますが、最終的に出雲を巨大神殿に祀ることで契約成立となった。いろいろ裏話はありそうですけど、少なくとも出雲の神様を神社に祀ることになったのは間違いない。恐らく出雲と大和では信仰が異なるというより、民族、DNA、そもそもの出自が違ったのではないかと思います。でも、神社という枠組みの中で祀ることになった。本音かどうかは別として、出雲の神様はそうしてくれたらいいよ、って。

    民族的に別系統と思われる神様を一緒に祀るということを神社はやってきました。客人神(まろうどがみ)やアラハバキが典型でしょうか。

    挙句の果てに怨霊すら祀る。受験のたびにお詣りするあのお方や権力争いに敗れた高貴なお方、上司に追い込まれて三度おみくじを引いて謀反を決めたあのお方も祀られています。

    ちょっと違うかも知れませんが、沖縄のどこだったか、どんな悪人も7代経てば神様になるそうです。

    根底にある感覚はみんな同じ。敵も味方も神様も悪霊も区別がない。まぁ、なんだったら敵とか悪霊こそ祀りたいのかもなぁ、とは思いますが、かといって、神聖な神社に敵や悪霊を入れないなんて料簡の狭い話はないから、これは脈々と流れ続けてきた日本人の精神なんだから、これでいいんだと思う。

  • 須々岐水神社(信濃國筑摩郡)

    ご当地開拓は卦婁真老(けるのまおい)を中心とした高麗系のひとたちだったようです。

    のちに須々岐氏を賜姓され、平たく言えば帰化したということなんだと思うのですが、当然、その前から当地の開拓に尽力されていたんだとは思います。

    興味深いのはこの朝の時間帯にちゃんと朝日を拝む形の配置になっていること。

    聞くところによれば、寺院建築が中国から輸入された頃から、大きめの建物は南向きになったそうで。いわゆる「指南」の語源にも通ずる、南を意識した文化が定着していったようなのですが、それは中国大陸あたりの気分で、日本列島では朝日を拝む形が原形だと思います。

    うろ覚えですが、「寺」という文字もそもそも仏教の建物という意味ではなく、大きな建物くらいの意味だったような…。

    きちんとした神社建築がない、小規模な古代祭祀の痕跡を感じさせる場所ほど、実はお日様をお詣りする形になっているところが時々あります。

    もっとも時代とともに建て替わったりして、向きが変わることも全然ありそうですが。

    ふと…壱岐の月読神社の向きは…気になりますね(笑)

    GoogleMapを見ると東南方向に拝む形…ちょっと考えすぎだったかも知れません💦

    どんな文化であれ、どんな民族であれ、太陽を拝まない信仰ってないと思うんですよね。程度の差はあっても。

    話はおひさまの話中心になってしまいましたが、須々岐水神社の神様は渡来の神様か薄川の神様か…。どっちもありそうだけど、中世の諏訪系の影響を受ける直前は水の神様かな。現実的な生活を守るための。更にその前となると、自分たちのルーツを示すような大陸の神様というのが自然だと思うんですけどね。

    ちょっとこの辺は想像です。ありそうな想像をしてみたまで(笑)

    この時見てこられなかったんですけど、針塚古墳というのが松本市内にあって、積石塚なんですって。帰ってから知りました。積石ってなんとなくイメージは朝鮮タイプな感じがするんですよね。須々岐氏が高麗出自と言っているんですから、このあたりに勢力があったって不思議ではありません。

    お社の写真はやはり神様降臨っぽい感じを頑張ってみました。朝の時間はこういう画が撮れます。

  • 塩野神社(信濃國小県郡)

    御神体は「水」だそうです。

    奇しくも当日は雨天。

    御祭神は出雲系の神様。

    生島足島神社の御神体が「土(日本列島)」なので、縄文後期から弥生時代の稲作の神様とは言い切れない…言えないと思っています。

    もっと古い時代の「土」は稲作以前の土から草木が生える、あるいは蛇や蛙や蝉…などが土の中で一定期間暮らし、時機を見て土から這い出てくる、そんな素朴な生命への畏敬…そうもっともっと素朴な信仰があったのではと。

    「水」もやはり稲作に必要とかそんな大層な話の前に、魚などの生物が暮らす場、のどを潤す水、もしかすると災害の原因としての水…もっと素朴な原始で原子な感覚だったんじゃないかと。

    だから、縄文からの層、稲作が始まってからの層があるんじゃないかと。出雲の神様が勧請されたのが1300年前の天武帝の御代(塩田まちづくり協議会サイトより)。結構最近ですので、その前歴のほうが重要。恐らく、1300年前に初めてこの地に信仰の場ができたとは考えにくい…。集落もずっと前から存在していただろうし。何かが更新された時期なんだろうけど。

    ご当地は小高い丘であり、この奥は山です。

    ちなみに天武天皇といえば、皇祖神が天照大神に定まった時期の天皇。まだ、地方は地方の気分で「出雲の神様がいいんじゃね? 諏訪の神様も近いし。」と勝手に妄想。