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  • 人生に無駄はあるのか。

    無駄はある。
    人生に限らず、なんでも無駄なくことを為せることは極めて少ない。

    どんな天才もド真っ直ぐ生きることは難しいだろう。

    人生は常に取捨選択を迫られている。そのときそのときの選択が正しかったかなどとすべて検証なんかしていられないほど、日々、そして連続的に右か左かを迫られている。

    ふと振り返って、あのときの選択は…と思い悩むこともあるけど、どこかで折り合いをつける。後になってみると遠回りの選択をしてしまった自覚はあるけど、ああいう出会いや発見もあったし、正解っちゃ正解だよね、と。本来の主旨とかコンセプトから言えばズレてしまっているんだから、間違いだったと素直に認めるべきなんだけど、周辺の副産物のおかげで有耶無耶にされ、誤魔化されてしまっているだけ。総合的にはまぁまぁだよね…という見方も大事だろうけど、当初の方向性に照らしてどうだったか、という見方をすっかり忘れてしまっては、そこに反省や検証は発生しない。

    スピードありきのつもりが遠回りしたなら、所要時間が判断基準だし、副産物がを得たのは想定内のことならまだしも、偶然となれば、それでよかったよかったとはならないし、してはいけない。そこは切り分けたうえで、期日はどうだったのかをドラスティックに評価したうえで、別枠として想定外に得られた副産物を取り扱うべきだろう。

    そういう評価を冷静に出来ていることが前提として、遠回りだったことを単なる遠回りとするか、必要な遠回りだったか、無駄な遠回りだったかを見つめるべきだろう。

    ただ、それがどんな遠回りだったとしてもそれを認識したことがほぼすべてではないかとは思う。つまりこれに関してはPDCAでいうならば、Cの検証でいいじゃないの?ってこと。わかっているかどうか大事。そして、それを見て、精神論ではなく、冷静に無駄でしたね、と言えないとダメ。

    だから、無駄はある。

    ちゃんと認識する。

    精神論に騙されない。誤魔化さない。

  • おれ、まっすぐ歩けないんだ。

    どこをどう行ったら、一番近いか、どこが楽なのか、最初からわかってる。

    なのに、まっすぐ歩けないんだ。

    考えたらわかるのに、最短距離もわかっているし、険しい道も避ければいい。

    なのに、まっすぐ歩けないんだ。

    考えなくてもわかってる。でも、正しさじゃないんだ。そっちは危ないけど、面白そう…、そっちは険しいけど、理屈じゃなくて行ってみたいんだ…、と感覚がそうしたいと言ってくることもある。

    だから、まっすぐ歩けなかったこともまったく後悔していない。

    険しい道も遠回りも期待通り、まっすぐ歩いていては見られない景色に出会えて、大満足。

    むしろ、まっすぐ歩かないことを勧めてやろうとすら思う。

    ただ、ときどき因果な性格だとも思う。

    もっと楽できただろ?

    もっと早く成果を出せただろ?

    無駄なお金を使わずに済んだだろ?

    もっと楽な人生を送れただろう?

    もっと、もっと、もっと…。

    でも、そのもっともっとは豊かとは限らないんだ。

    寄り道、迷走、行き止まり、対面通行できない道…。

    それが我が道となる。

    それが我が歴史となる。

    まっすぐでは得られない蓄積がそこにある。