カテゴリー: 自己表現

自己表現について。音楽、ファッションなど。

  • Dickey Betts

    いまどき、この人のことをAllman Brothers Bandの中でDuaneの陰に隠れてとか、Allman Brothers Bandの中でDuaneばかりを英雄視したり主役のように扱う人はいないだろう。

    なにもDuaneを軽視しようっていうんじゃない。
    Duaneなくしてsouthern rockは語れないし、レスポールも語れず、当然彼を象徴するスライドプレイも語れない。

    当世活躍のDerek Trucksも彼の血を引いているんだし、やっぱり偉大過ぎる先人がいると苦労…いや、Derek Trucksはとっくに先人を超えて天才の呼び声も高く、唯一無比の存在になっていましたっけ。

    でも、忘れちゃいけないのがDickey Betts。Duaneのスライドプレイを”洗練されたソロプレイ”に置き換えれば、Allman Brothers Bandの双璧だったと言って差し支えない。それにDickey Bettsのスライドも…いやむしろDickey Bettsの方が荒くれてカッコいいかも知れん…。

    そう思うとDuaneの方は結構繊細な人だったんじゃないかとすら思うし、Dickey Bettsの洗練された感じはいつも失われないし、25歳で亡くなったDuaneに対し、80歳まで生きたDickey Bettsと比べてはDuaneにも気の毒だろう。

    ただ、スライドお任せだったDuaneが亡くなったことで、スライド”も”やらなくちゃならなくなった…という面もあったかも知れない。

    わたしもそこまで聴き込んだわけでもなく、何かインタビューを読んだわけでもないけど、それにできないはずがない人でもあったんだと思う。

    若くして死ぬとどうも神格化されがちではあるけど、そのあともやり続けた人たちも同等だと思う。

    今回、あらためてDickey Betts & Great Southern『Live At Rockpalast 1978 and 2008』を聴いて、真っ黒なブルースではないけど、ブルース愛に満ちた人たちの音楽を復習して、そんなことを思った次第です。

  • おれ、まっすぐ歩けないんだ。

    どこをどう行ったら、一番近いか、どこが楽なのか、最初からわかってる。

    なのに、まっすぐ歩けないんだ。

    考えたらわかるのに、最短距離もわかっているし、険しい道も避ければいい。

    なのに、まっすぐ歩けないんだ。

    考えなくてもわかってる。でも、正しさじゃないんだ。そっちは危ないけど、面白そう…、そっちは険しいけど、理屈じゃなくて行ってみたいんだ…、と感覚がそうしたいと言ってくることもある。

    だから、まっすぐ歩けなかったこともまったく後悔していない。

    険しい道も遠回りも期待通り、まっすぐ歩いていては見られない景色に出会えて、大満足。

    むしろ、まっすぐ歩かないことを勧めてやろうとすら思う。

    ただ、ときどき因果な性格だとも思う。

    もっと楽できただろ?

    もっと早く成果を出せただろ?

    無駄なお金を使わずに済んだだろ?

    もっと楽な人生を送れただろう?

    もっと、もっと、もっと…。

    でも、そのもっともっとは豊かとは限らないんだ。

    寄り道、迷走、行き止まり、対面通行できない道…。

    それが我が道となる。

    それが我が歴史となる。

    まっすぐでは得られない蓄積がそこにある。

  • チノパンとアイロン

    普段の仕事はUNIQLOのチノパンだから、選択ごとにアイロンをかけないとシワシワになる。

    でも、そう言えばプライベートで愛用してるJapan Blue Jeansのチノパンにアイロンをかけたことがない。ほとんどシワにならないんだ。ちなみにベージュ。

    チノパンだから、若干シワがあってもいいわけだけど、UNIQLOのようにくしゃくしゃになることはない。バリッとしてる。

    一番最近入手したチノパンとしてはRED KAPのPT20 INDUSTRIAL WORK PANTSがある。これはセンタープリーツを入れて履いているので、アイロン不要とはならないけれど、シワという面ではやはりほとんどない。

    もう一本最近のものとしてはAlpha Industriesの紺。こちらは先の2点と比べると若干シワになりやすい。更に紺色のせいもあってか、気をつけないとアイロンでテカる。それでもUNIQLOほどではないので、アイロンは軽くかければいい。

    たまたまかも知れないけれど、国産のこういうところは誇らしいけれど、やはりそれなりの値段がする。やっぱり生地も厚くて頑丈な感じはするから、相応なんだろうけど。

    だから、国産品の値段云々するのは無意味ということにしよう。もちろん、作り続けて存在し続けなければいけない。いいものを作り続けて、存在し続けて欲しい。

  • AC/DC

    元気になるのよ。あ、ライブ映像ね。

    Angus Youngがステージを文字通り縦横無尽にかけまくる姿はRockそのものだよ。Rockの生き神様。


    金太郎飴だのなんだの言われて、それが50年以上やってるんだから、馬鹿にしているんなら、やってごらんよ。誰もできないし、勝てない。

    それならオススメは2003年の『Live』かい?となるけど、もちろんオススメには違いないし、音源でも映像でも見応え聴き応え十分。


    でも、No.1は『BALLBREAKR』。『Back in Black』でもなくね。何故と問われても困る。とにかく、当時乗っていた車のCDチェンジャーに丸2年以上収まり続けた。

    気付いたら、この『BALLBREAKR』ばかりを2年以上聴き続けていた。我ながらちょっと狂気染みているとも思ったけど、これ以外の音に興味がわかなかったし、他を探そうとも思わなかった。

    当時の音楽趣味としてはこの1枚でコンプリートしてしまったんだと思う。

    Screenshot

    AC/DCに出会った頃にはすでにBluesでも相当古い方向まで研究していたし、70年代のブリティッシュロックもそれなりに体験して聴き込んで、もう他に何が必要?という状態になっていたかも知れない。

    もう、おもしろいものがなかったんだ。

    The Very Rockと言えるすべてを内包した存在がAC/DCだった。

    でも、それもあんちゃん(Malcolm Young)が亡くなった(2017年11月18日)ことで終わってしまった。

    惜しい人がどんどん亡くなる。

    ちなみにAC/DCとわたしは同い年。

    まだまだ現役で活動はしているみたいだけど、リードギターのAngusが「ギターが一番うまいのは兄貴だ」って言うように、AC/DCのリズムを刻んでたのはMalcolmだから。もちろんAngusが走り回れるうちはAC/DC健在なんだろうけど、俺のAC/DCは『Black Ice』で止まっています。幸いこの時のツアーを見に行けたのはラッキーだったとしか言いようがありませんね。

    あんちゃん、決してあんちゃんを教訓に酒をやめたわけじゃないけど、あの世に行ってもお酒はほどほどにね。

  • アベフトシ

    このひとのおかげで何度テレキャスを買おうと目論んだことか。

    いや、俺にテレキャスを買わせようとした人は他にもたくさんいるけれど、ホントのホントにテレキャスしか弾かないギタリストはアベフトシかAlbert Collinsくらいじゃねぇか(笑)

    でも、最後には踏みとどまるんだ。テレキャス買っちまったら、テレキャスのワクから抜け出せなくなる。

    アベフトシの高速カッティング、Albert Collinsのアイスピッキング、Kieth RichardsのオープンG…すべてテレキャスとセットじゃないか。いや、タッグじゃないか。

    そのくらい、テレキャスという楽器に固定のイメージが出来上がってしまっている。何本もコレクションしているような人ならいざ知らず、虎の子の一本を購入しようと思うとテレキャスはあまりに縛りが多い。まぁ、その縛りもまたカッコよさなのだけれどね…。

    さて、彼がなくなったのが2009年7月22日だそうだから、そろそろ17年になる。42歳はあまりにも早い。でも、ミッシェルが終わった時に終わったんだと思うようにしている。ミッシェル以外であのコードワークやったら、ミッシェルになってしまうじゃないか。

    もし、まだ彼が生きていたら…なんてことは考えない。ましてやチバも死んだ。

    誰も追い抜けない伝説になった。

    それでいいじゃないか。

    ※Kiethは確かにテリーのイメージだけど、実際はGibson系も多い。

  • A Night at The Opera

    年齢のせいか、名曲を聴いて「えぐっ」となることが増えた。こみ上げてくる。

    Tears In Heavenの「I must be strong」の部分をその一例に挙げた。

    さて、言わずと知れたQueenの名盤『オペラ座の夜』の同名曲。これも共感していただける人がいるものかはまったくわからないけれど、「Mama,Life had just begun」のところで同じ現象が起きる。

    10代の頃、Freddie Mercuryの名前もQueenの名前ももちろん知っていたけど、まだちゃんと出会ってはいなかった。Queenよりも先に動く映像を見たのはFreddieだった。1991年、彼の死の直前の自身がAIDSに侵されていることを発表する記者会見のようなニュース番組の映像だった。

    当時、AIDS自体が治療法も確立されていない、だから彼はその記者会見の直後に亡くなっているんだけれど、同性愛が根拠もなく、AIDSの原因かのように囁かれ(非難され?)、いわれのない差別受けていた時代でもあり、10代の自分には衝撃以外の何者でもなかった。いや、10代では同性愛がいかなるものかもわからなかったし、未知の疾患に複雑な思いを抱きながらも考えさせられたのは間違いなかった。尚且つ、スーパースターと言われる人物がテレビに出た直後に亡くなったと知れば衝撃以上の表現が見当たらない。

    10代の自分といえば、医療を志す受験生であり、ロックをこよなく愛するギター少年でしかなかったんだから。

    ここで糺しておくけれど、AIDSの感染は一部の体液感染であるのみ、ということが重要で、唾液や汗、涙、尿で感染することはほとんどなく、感染力でいえばそれほど強力ではないし、ある一定以上のウイルス量がないと感染しないのは他の感染症と大差ない。同性愛であることはまったく理由にも原因にもならないということ。

    ただ、肛門性交が出血しやすいことから、血液・精液間で感染する可能性が高まりやすいということはあるかも知れず、これは相手が同性異性に関係ないことで、更に不特定多数の人間と関係を持つ習慣があればやはり感染のリスクは増える。これは原則論、一般論として。

    Freddieがどういった性的志向であったかは一応公にはなっていないことになってはいるけど、どうだっていい。彼が誰か大事な人を愛してそうなって、それを受け入れて、亡くなった。

    そして、彼とQueenが作った音楽は今でもぐらぐら心を動かす、それだけで十分なんだ。

    じゃないと「ママ、人生始まったばかりなのに」なんてつらすぎる。彼が生きていれば…と何億の人間が想像しただろうし、可能なら、今だって生き返ってほしいと思う。

    享年45。

    彼の年齢も超えてしまった。

    1991年といえば私は大学受験の歳。その後、ひとり予備校の寮で浪人生活を送りながら、この1年はJohnny WinterとQueenを一番聴きましたっけね。

    そんな時分を振り返るとまたね、いろいろこみ上げてくる…。

  • Dr.MartensのAdrian:2代目はレッドステッチ。

    初代のイエローステッチは2020年8月購入ですから、そろそろ丸6年。27.0㎝(UK8)

    今回のレッドステッチを購入するにあたって悩んだのが当然サイズ。結果としては同じ27.0㎝(UK8)購入。

    今もイエローステッチを履いてるんなら同じで何が問題なのさ?と至極尤もな疑問が起こりそうですが。

    この直近6年というのはうつ期の最終章であり、最デブ期でもあります。体重にして最大測定値は83.3㎏。あくまでも最大測定値であり、それ以上は測定を放棄していましたので、83.3㎏以上まで膨れ上がり、何度もこのサイトでお伝えしているように2026年5月にめでたく退薬できたおかげで現在76㎏前後です。

    革靴というやつはある意味寄り添う靴と言え、この6年最大まで膨れ上がる体形に追随し一緒に大きくなってくれたものと思われます。

    実際、この何年かで履けなくなってしまった靴も結構あって、泣く泣く手放しました。痩せる目標のために捨てずにとっておく…というオトメのような心境になるはずもなく、差し迫って痩せなくてはならない健康上の理由はあったものの、目的のために保管する気にはなれませんでしたね。

    幸い、Adrianイエローステッチは伸び続けてくれました。内側(内皮)は先日もお伝えしたように痛んではいますが、日常の使用に全く支障はありません。とはいえ、だいぶ趣向が変わったこともあり、ここ最近は休みの日にも革靴を履くことが増え、イエローステッチを酷使している部分はあります。HARUTAのタッセルローファーも愛用していますが、こちらはイエローステッチより高齢です。しかもサイズがキツめですので、どこかでいきなり崩壊する危険性が…いや、ローファーだけにフィット感は大事なのですが、キツめとフィット感の狭間なので、寿命が読めません。

    そんな不安もあって、新人採用と相成ったわけですが、たまたまセールとクーポンで2万円を切るお値段で購入できるということで。

    さて、サイズです。

    上記のような経緯でしたので、果たして新品も27.0㎝でいいものか…紐靴ならあまり厳密に考えず0.5㎝上乗せしたかも知れませんが、フィット感命のローファーのこと。

    結局は27.0㎝を注文し、家でも試し履きをして、ピッタリすぎる不安がありながらも指に余裕はあり、指がどこかに当たって痛いということはなかったので、本日の彌彦詣りのために初外履きを果たしました。

    懸念はかかと。普段から携帯用の靴ベラは持ち歩いているので、外でも脱いだり履いたりするのに苦労はありませんが、かかとがピッタリすぎなんですよね。かかとだけじゃなくて全体的にがっちり包まれている感じでしたので、案の定、かかとは靴擦れができ始めてしまいました。彌彦詣りのほかにも用事があったので、このままでは歩けんと思い、途中古巣の(笑)ウエ〇シアに寄って、テーピングを購入。

    テーピングの使い方はいつかお話しできればと思います。

    とりあえず、テーピングで靴擦れの悪化を止めて、辛うじて歩ける状態に。

    フルの遠征ならテーピングは標準装備なんですけどね。

    抜かりました💦

    さて、レッドステッチの方は結果としては若干キツめ、ただし、サイズアップするまでかというとやはりそこまでではないかもという、文字通り微妙なサイズ。

    いずれにしても外履きしてしまいましたので、返品もできませんので、育てましょう。当分テーピング併用ですけどね。

    逆に言うとDr.Martensの固そうな伸びなそうな革でもちゃんと伸びてるってことだね。でも履き続けなきゃ。

    さっきも言ったけど、この歳になってローファー一辺倒になったのにはいくつか理由はあるんだろうけど、スタンスミスを履くのが気恥ずかしくなったり、もともとブーツは好きだったけど、あれは戦闘モードを具現化したもので、マインドが戦闘モードじゃなくなったってのがあるんじゃないかな。

    ローファーはそれでも足元を固めるアイテムとして、ひ弱ではない安心できる戦闘力が必要で、そうなったんだと思う。

    ちなみに最近、遠征用のスニーカー枠におさまったのは何年も前に買って眠ったままだったNIKEのモアテン(モアアップテンポ)。NIKEとしてはたぶん定番モデルではなくて、時々出してくる気まぐれ…じゃなくてマニア向けかコレクター向けか転売目的のおいしいネタか…。いずれにしてもエアが優秀で遠征にはもってこいなわけでして。ただ、靴そのもののデカさかブーツ並みで、結局趣味趣向は変わっとらんだろ…しかもAIRってデカ文字入っているデザインは変態でしかない…。

    Adrianの話。

    そもそもはオーストリアのオペラ座でドイツ語のオペラを観るために、フロア席はドレスコードがあるので、革靴でも歩けるように練習のつもりで買ったのがAdrianでした。革靴でも十分歩けるところまでは馴染んだ。実はオーストリア行きのチケットと宿の手配まではやった。ドイツ語の能力は拙い独検4級合格レベルだけど、そもそもオペラ座のチケット予約はオンラインだから(笑)

    今はとりあえずレッドステッチを育てていかないと。

  • うつと自然音、胡弓、二胡、古琴、琉球音楽

    うつのときにストレスを和らげる、解消する手立てとして何かいい音楽はないかと考えていました。

    発症直後のあまり状態がよくない時は「何も聴きたくない」が正直なところですし、家族が発する生活音ですらしんどさを感じますが。少し持ち直してくると気を紛らせたい気持ちも出てきます。

    そんな中でも自然音、胡弓、二胡、古琴、琉球音楽(三線など)の音はありじゃないかと。自然音は説明すると雨音や川のせせらぎの音、小鳥のさえずりなどです(レンタルCDやiTunesで入手しました)。不思議なのは自然音くくりなのに、海の波のさざ波はダメでした。しんどくてすぐやめました。雨音は比較的複数の方からも賛同を得ました。と言っても身近な数人ですけど💦水の音は総じて良いようですが、私は波の音はダメでした。民族楽器でも金属弦の二胡はキンキンしてダメなんじゃないかと予想していたのですが、そんなことなかったですね。割と心地よい。たまたまiTunesで見つけた川崎元司朗さんの『琉球島唄』はよかったですね。三線の音はもちろん、この方の歌声が柔らかくて。独奏なので騒がしくなくていい。琉球民謡でもお祭りなんかで合奏するにぎやかな奴はちょっと合いません。

    うつって、ある程度ストレス耐性が上がってこないと音楽を聴こうとか気持ちを紛らわそうという段階にすら入れない。だから、最初はいくらか薬で底上げする必要はあると思いますけど。

    ちなみに私はヘビメタでも大丈夫でした。全部が全部よかったとは言いませんけど。重い気分の時に楽しい音楽はダメです。上向かない時に無理矢理上向きの音楽はダメ。そもそもヘビメタはネガティブを体現した音楽ですから。そういう意味ではブルースとか中島みゆきも正解なのかも知れませんが、あまりしっくりいかなかった記憶があります。

    なので、何か共通の法則があるのかわからないのですが、気持ちを落ち着かせたり、ストレスを軽くしたり、そういう効果のある音があるのは確かだと思います。

  • ギター挫折率90%

    別に私は挫折していないし、かといって、ギター歴は薄ーく、長ーくなので、それほど自慢できるギター歴でもない。実際、うつの期間はほとんど触った記憶がなく、その証拠にアコギについてはだいぶ傷ませてしまって、今になって自力で修理したり、プロに頼んだりしている。

    さて、挫折率90%という数字が何を基に算出されているかは知らないけれど、単純に中古のタマ数(買取数?)÷新品のタマ数(販売本数)だろうか。単純にほとんど続けられないという象徴として”90”としただけの可能性もある。

    上の計算式であれば、単に飽きて家に置いたままのケースは挫折に換算されないことになる。売却=挫折。そうすると実際の挫折率はもう少しかさましされることになるが、「仕事忙しくてなかなか弾けないけど、いつかまた…」と大事にしまっている人は挫折ではないのだ。

    それでいいと思う。

    学生のときのように、日がなギターを弾いていられる生活なんて続くはずがないのが普通なのだから、”弾く時間がないけど、自分はギタリストだ”というスタンスで良いのではないか。

    精神の問題だ。

    あと、本格的に挫折するケースについても考えてみた。結論から言えば、ステージの上のあの人たちになりた過ぎるのがいけないんだと思う。いや、そのステージの上のかっこいいあの人たちに憧れてギターを買うところまでは間違っていないと思いたい。

    でも、自分もああなれるかというとそりゃ違う。彼らは才能もあっただろうし、運もあっただろう。時代もあっただろうし、その時代に乗る才覚もあったかも知れない。とにかくいろんな条件がうまいこと重なってステージに立っている。下手したら、腕前はそれほどでも…と思う人でも堂々とプロ活動をされていたりする。何かひとつではないんだろう。

    一応、10%の人が何らかの形でギター(でもなんでもよくて楽器というものを)続けている。その時点でまぁまぁ弾けている可能性は十分あるけど、当然その10%みんながスポットライトに照らしてもらえるわけじゃない。

    きっとどこかの時点で「〇〇になりたい」という動機から解放されているはず。うまくなって、アンサンブルに耐え得る腕前を身に着けたなら、〇〇になれなくても自分のバンドで輝けるかも知れないし、それが続ける動機になる。別にバンドがしたくてやっている人ばかりじゃないし、そこまでの腕前でなくても続けるには相対的な”上手さ”から解放されなくてはならないんじゃないだろうか。

    そもそも音楽なんだから好きにやればいい、の境地に立てればなんのことはない。

    きっと私もブルースの完璧なフィンガーピッキングにとらわれていたら、しんどかったに違いない。Eric Claptonだって、その辺は適当…ではなく、あれは奏法にこだわらず、かっこいいところを抽出しているんだと思うけど…完璧にやっているわけじゃない。フィンガースタイルやスタイルのかっこよさなら、世界に名は轟いていないかも知れないけど、内田勘太郎の方がECの上だと思う。

    つまり比べても仕方ない、という境地に立てば、上手さから束縛されなくなる。

    ただね、上手い方が楽しいに決まっている。ちょっと語弊があるな。上手く…というより、一曲それなりに通しで弾ける、とかかな。

    それに60歳70歳でデビューするブルースマンなんてざらにいる。それだけの年齢を重ねないと醸せないものがあるだろうしね。

    いくら間があいても「やめてねぇし」って思っていれば継続中だ。

    その気概があれば、と思う。

  • Dr.MartensのAdrian:直していく。

    だいぶブサイクだけど、取り敢えず塞いだ。

    履き口からめくれてきそうだけど、延命にはなったのかな…。必ず靴べらを使えば、めくれることも防げるか…。

    いいのかわるいのか、粘着面の粘着がいいのと、素材もぺらーんとしているし、曲面だし、貼りづらい💦

    実はすでに靴底も一度貼り直している。外身が大丈夫なだけになんとか履けるようにしておきたい。