カテゴリー: 健康と医療

病気のこと、薬物治療のこと、健康のこと、人体のこと。

  • 体重管理の威力

    9月8日の検査でほぼ異常値はなくなりました。

    医師も体重管理の重要性を実感したと仰っておりました。

    検査項目のうち特に着目してきたのはLDL、TG、UA、HbA1C、ALT、AST、γ⁻GTP、eGFRあたりです。

    このブログではどこかでお伝えしてきていると思いますが、食事改善はかなり前から取り組んでいたもののなかなか数字に表れる効果はなく、本年5月の抗うつ薬の退薬で一変。

    食事改善の方向性に間違いはなく、ただそれ以上に抗うつ薬による代謝低下、食欲異常亢進の比率が圧倒的だったと言えます。故に薬の影響がなくなった途端に体重はするすると落ち、10Kg弱減少しました。

    自分自身も驚いています。

    血液検査の結果を載せるかどうか…ですが、この歳になるとひとつやふたつ、良くない値はあるものですが、体重管理ひとつでかなりの効果があることを実証できました。

    ただ…若干の我慢はしました。

    今年の夏はアイスは一度も食べていません。

    ポテチも最後に食べたのはいつだったか?

    食事改善のコンセプトは習慣化です。都度都度気を付けるとか、今日はいいけど、明日からは…とか日によって判断の余地を入れないことです。

    基本は習慣。何を食べるか、どの栄養素を組み込むか。すべて習慣化。

    具体的には肉・魚・野菜。

    肉は豚か鶏。豚は鶏より元気が出ますが、脂が多め。鶏は脂は少ないですが、ビタミンが豚より少ない。だから、豚も鶏も大事。ただ、蛋白源と言意味では豆腐や豆類も。

    植物性の食材も野菜は遠慮なく、鍋を満たし、エリンギなどのキノコ類、こんにゃく…。

    そもそも何を作るかと言えば、鍋です。夏はせいろ。

    検査数値的には若干、尿酸値とLDLの下がり具合が弱いので、豆腐>鶏>豚、のように比率を変えてみて経過観察です。

    あとは食費…が問題ですかね…。

  • 読書を手放しで勧められないわけ

    読書は他人の経験を自分の経験にする可能性がある有意義で簡単な方法だと思う。

    それをやらない理由はほとんどないだろうと思う。

    ただ、そのほとんどと言うのは時々手放しでは喜べないこともあるからだ。

    読み手にも見識がいる。見識を身に着けるための読書だろうから、こは如何に、という話ではあるけれど、読み手に読む能力を求められる…と感じることもなくはない。

    ストーリー性のある小説などなら、読み手が読み間違いや勘違いをしていたら、辻褄が合わなくなり、自分で気付くことができるが、それ以外の場合、文字が読めればいいというわけではなく、読み込む力が必要となる。

    読み手に読む力がなく、読書を断念するなら致し方ないが、誤解したまま読み進め、間違った理解をしてしまうとこれは最悪だ。

    つまり、読み手は自分ではこういう理解をしたが、その理解で合っているだろうか?という振り返りというか自己確認が難しい。

    勘違いでも納得でいたならそれでもいいのかも知れないし、そこまで心配する必要もないのかも知れない。

    ただ、中には曲解しかしないタイプの人間もいて、そうなるともう読まない方がいいと思えてくる。

    人様の経験を自分のものにできるのが読書であろうに、素直に著者の考えを理解できず(決して共感する必要はない)、曲げて理解するのであれば、何も得られないし、昨日と今日とで何も変わらなかったというより毒にすらなるのではないかとさえ思う。

    例えば、資産形成のための投資の指南書があったとしよう。

    例えば、人生をよりよく生きるための哲学というか心のよりどころとなるようなエッセイがあったとしよう。

    例えば、健康に関連して食事や栄養を指南する書籍があったとしよう。

    こういった指南書は最初特に理解しづらいかも知れない。〇〇株を買えと具体的な戦法が書かれているわけではなく、”考え方”を示唆するタイプの指南書もあれば、具体的に〇〇株を買え、と書かれているものもあろうけど、それならそれで、その銘柄の話が現在も通用する話なのか、その買うべき根拠は今現在の市場にあった話なのか、よくよく精査しなくてはいけない。指南書の内容が難しいからといって、結局ろくに読まずに、買えと言われる銘柄を考えなしに買っても理屈がわかっていないと次にはつながらないし、次に買うときにまた誰かに訊かないと選べない。一定の理屈は必要なのに、難しいからといって放棄してしまうと…かといって株の配当のことが魅力的で無知のまま、どこかで聞きかじったことを頼りに投資なるものを始めたとしたら…、株などの投資はギャンブルではないから、ある程度の基本的な知識、大局をつかめばギャンブルのように大損したりせずに安全に始められるだろうけど、誰かの個人的な意見を聞きかじっただけで始めることほど危ないことはない。

    人は生きていくにはときに迷いや行き詰まりを感じることがあるけれど、他人様の人生論は時に役に立ち、困難を突破するきっかけになる可能性はあるけれど、ひとりとして同じ人生を歩むことはないのだから、やはり大局や本質をつかんで自分の状況に応用するのが正しいのだろうけど、エッセイに書かれているまま転用することはできない。

    健康に関することは特に厄介だ。根拠のある定説だけでなく、宗教染みた偏った説にのめり込むように信じてしまっている人が少なくない。医学や薬学ならまだしも、栄養学は学問と一般人にとっての実践学にまで落とし込まれていない。浸透しているとは言えないから、いろんな人がいろんなことを言う。薬剤師は栄養成分も含めたすべての化学物質をひと通り履修はしているけれど、調理法とリンクしていない。もちろんこの栄養成分は熱を加えるとほとんどが壊れてしまうとか知っていることもあるけど、断片的だと思うし、学部時代の授業もそれほど時間が割かれなかった記憶がある。では現在、何で正しい知識を得るのだろう。料理本はおいしそうには見えるけど、栄養学の根拠は薄いだろうし、医師にコレステロールを控えましょうと言われても具体的にどうしたらいいのかすぐわかる人はいないのではないだろうか(医師もよくそれでわかるはずのないことを言うよなとは思うけど)。少なくともおいしそうな写真が載っている料理本の著者は自称料理家なのか、管理栄養士なのか、栄養士なのか、調理師なのか、栄養学者なのか、料理好きのタレントなのか…それぞれ持っている知識は違うと思わなければならない。

  • 退薬後3ヶ月の体重

    Screenshot

    一年の平均体重で見るとBMI25.5で基準で見ると肥満カテゴリーではあるけど、直近の平均体重73.6㎏を使うと23.76であり、標準の範囲内に収まった。

    ただ、このBMIと健康寿命とは若干ズレがあるようで、BMI厳守よりもう少し小太りの方が健康寿命は長いとされているので、今の体重は下限値くらいに認識するのがいいのかも知れない。

    BMIを肥満ギリギリの25.0(未満)を狙うなら、体重は77.44㎏。

    体重を減らすのは退薬したからで、食事内容は変わっていないので、当初から思案してきた食事内容にそれほど間違いはなかったのではないかと思う。ただ、正直、勢いよく73㎏台まで落ちたので、これ以上落ちないようにというところと、もう少し微調整的に上げておきたい気持ちはある。75~76㎏というところか。

    もちろん、甘いものを食べるとか油物をということではなく、少し朝昼に食事量を振ることを考えてみたい。一人暮らしの自炊なので、夕食を自前で作るのが精いっぱいな面があるが、そこにメスを入れるのが次の段階ということになろう。

  • レベル(程度)差ストレスうつ

    この件はどのくらい共感を得られるのか、むしろ反感を呼ぶような気もしないでもないが、書いてみる。

    結論を言えば、自分が認識していることと環境(ほとんどがその環境を作っている人間たち)とのギャップにストレスを感じる、これが原因になることがある、という話。

    その環境とは、上司や部下、会社からどう思われているかは知らないけど、言動に問題がある人、相手によって態度が違う人、裏でこそこそやっている腹黒い人、こいつ、アホか?!と言いたくなる人は、上司だろうと同僚だろうと部下だろうといるし、時に会社という組織やシステムに対して問題を感じたりして、それらと自分の認識とのズレがストレスの原因であり、それがうつにつながりかねない。

    会社に対しては…法律や会社規模によって、できることできないことがあって、客観的にはやむを得ないことであっても整備された大会社から小さい会社に出向や転職で来た人には、あっちでできてこっちでできない、がストレスになることもあろう。ただ、やはり、大企業(上場企業)にはできても中小企業(非上場企業)ではできないことがあるのは確かだろう。

    うつの原因が「ストレス」なのはそれほど反論はないだろうから、これらのギャップを感じることによるストレスは十分、うつの原因として成立する。

    うつ人口がどのくらいになったか具体的な数字はわからないが、”社会が悪い”といつまで有耶無耶にしているんだろう。

    どこの世界にも程度の悪いヤツというのはいる。悪気はないとかで許されているのも不思議だが、物理的でも言葉でも暴力は糺すべきではないだろうか。

    不思議なもので社会的な地位や会社での職位とはあんまり関係がないように思う。

    ご出世なさる人とその人の人間性はまず関係ない。

    人品ともに優れた人だけが出世するということはまずない。

    出世というのは仕事ができるとか、ちゃんと立ち居振る舞いができているとか、そんなことじゃなくて、会社や上司が扱いやすいかどうかという部分もおおいにある。会社が機能するうえで重要な能力でもあるのだから、人間性がどうとか言っても仕方ないい。

    だから、上下左右にストレスを放つ人間というのは存在して然り。

    となると日常的なことになる。

    となると日常的なストレスが環境に備わっているということになる。何か自分がミスをして叱られなくても、だ。

    となると日常的に回避することを覚えなくてはならない。

    そこが難しい。

    例えば、日常的に嫌味を口癖のように言う人が同僚にいるとしよう。

    例えば、普通に指導なり、伝達なり、要望を伝えれば済むことに、なぜか非難めいた言葉遣いになる人が毎日会う同僚の中にいるとしよう。

    例えば、午前中は低血圧なのかは知らないが、朝会った時点で最初からイライラしていて、言葉を選ばずに強い言葉で接してくる同僚がいるとしよう。あるいはテンションが異常に低く朝の挨拶をしなくてもいいと思っているか、聞こえるかどうかくらいの声で顔を見ずに挨拶をする同僚がいるとしよう。

    「〇〇して頂けるとありがたいんですが」と言えば済むことなのに、「なんで〇〇できないんですか?」というなぜか非難めいた言い回しになる。ついでに「やらなくてもいいとでも思っているんですか?」と嫌味のおまけがついてくる。

    OJTがある職場ならいざ知らず、ない場合はたいてい〇〇をトータルで教えていないとか、どういうときに〇〇をやるとか、何か習慣的に〇〇をやることになっているという職場ルールを教えていないとか、他の記事にも書いたが、教える側の責任を果たしていないケースにおいて、教える側は”やって当たり前”の習慣と化しているため、”やらないのはおかしい”と心の中で非難モードに固定されてしまっており、そのまま口に出ている。言われた方は鳩に豆鉄砲である。

    いずれのパターンもここは職場(仕事をする場)なのだ、社会の一部でお給料が発生しているのだ、そんな状況のわかっていないこどもなのだと思うしかない。いちいちこちらまで反応して(ストレスを感じて)しまっては自分ばかりがストレスを感じて損である(こどもの方も何か不満があってそのような態度なのかもしれないが、理不尽なことで怒っているだけで、ひとりで怒っているにすぎず、それによってストレスを感じても知ったことではない)。かといって、傾向と対策をして論破したところで、そもそも長い間上記のような態度でも誰も注意してこなかったという環境そのものの要因もあるから、反論した分だけ自分がアウェー(孤立)になるだけだろう。

    決して自分は間違っていないと奮い立たせようとか、自分を正当化することで、ストレスを感じないように心の整理をしようというのも悪くはないが、エネルギーがいる思考方法ではないだろうか。もちろんそういった方法でもストレスを受け流せるならそれでもいいと思うが。

    基本姿勢は関わらない、ということだろうと思う。

    社会で子供のふるまいをする相手に正面から取り合う必要はないだろうし、思いつかない。

    こういったレベル(程度)差が原因でストレスを感じるわけだけれど、逆に「子供の相手はしていられない」と程度差を逆手に心の整理してみる。

    大人になれよ、という話なのだが、先ほども述べたように、ある一定期間それでやってきてしまった人に改善を求めるのは難しいことかも知れない。然るべき立場の人が注意を与えればもしかしたら違うかも知れない。あるいは信頼関係のある同僚が心を割って話す機会を持つこともこれまでの時代にはあったかも知れない。でも、今時ご指導すべき然るべき立場の人も同僚として信頼関係を作れている人も、人間教育のような危ない橋は避けたいのが正直なところではあるまいか。

    いずれにせよ、毎日のことになる可能性があるので、それだけにいちいち取り合わず、受け流す、あるいはとらえ方のパターンを決めて、心の整理をする…そういった工夫が必要なのではないか。

  • 症状を抑えることの意義

    かゆみを抑えることで治療の80%は終わったも同然と言われることがある。

    アトピー性皮膚炎が代表例。

    アトピーは強いかゆみから皮膚を搔き壊すことでさらなる悪化を招く疾患という側面があるので、裏を返せば、かゆみを抑えれば、掻き壊しは減り、それ以上の悪化は招かない。

    皮膚を掻くとかゆみを増幅させるヒスタミンが追加で分泌される。

    掻くのはかゆいからで、かゆみはヒスタミンの分泌によるものだけど、掻けばヒスタミンが追い討ちをかける。

    このループが厄介だから、かゆみの抑制が肝心要となる。

    アトピー背皮膚炎と言えば、今なら過剰免疫を抑制するような治療方法もあるけれど、やはりベースはかゆみを抑えること。免疫系の管理は残りの2割なんだと思う。

  • 仕事との距離の置き方(その4)語学

    語学はうつの頭にはいいような気がしています。

    使えるようになれたらいなぁ、ならいいのですが、使えるようにならなきゃ、とか、〇〇検定に受からなきゃ、となるとしんどいし、モチベーションよりプレッシャーが強くなる。

    検定もある程度勉強が進んで、力試しに受けてみるか―くらいの気分でちょうどいい。

    縛りを設けずに正に自分ペースで学んでいくなら、毎日少しずつでも前進するし、小さなことでも毎回学びがある。つまり日々小さいかも知れないけど達成感がある。且つ、わずかな単語であってもやっぱり文法や構文が頭に入らなくても、小さな達成はしているから、片言でも伝わるかも知れない。初めての国でもなにかしらのコミュニケーションが取れるかも知れない。そんな前向きな気持ちの元にもなる。

    私の場合はあるきっかけから、とにかく外国語をもう一度勉強しようと思いました。でも、まったく白紙の状態からではなく、大学時代の第二外国語であるドイツ語ならとりあえずとっかかりとしてはいいだろうと。

    男性名詞、女性名詞、中性名詞、複数名詞によって冠詞が変わることくらいは知っていましたから、英語とは違う難しさがあることも知っていました。でも、英語だと新鮮さに欠ける…。そんな感じの選択でした。

    でも、ある程度進んでいくとマンネリもあってか他の近隣言語にも興味が出て、スペイン語、フランス語、チェコ語、ロシア語、アジア圏ではタイ語、台湾華語に手を出しました。

    スペイン語はドイツ語よりもっと日本人にとってなじみ深いローマ字読みで読めることと時制が多く、極めようと思うと大変なんでしょうけど、簡単な文章なら読めて理解できるまでが早い点で、とっつきやすい。

    フランス語はアルファベットの読みから癖があるので、単語を読むのも若干コツが要りますが、そこはフランス語の癖で、そこさえクリアできれば、読むことが可能になります。やはり、読めることで先に進めるようになります。フランス語は一周することができました。忘れちゃいましたけど、英語でいえば中1レベルでしょうかね。

    ここで語族の話をすると、英語とドイツ語は同じインド・ヨーロッパ語族のゲルマン語に属する言語なので、系統としてはそんなに遠くはありません。ですが、語順や先ほどの冠詞のルール等々、やはりまったく別の言語です。そこで気付いたのは英語がいかに簡略(シンプル化?)された言語化ということに気付きます。ドイツ語の方が古い様式を残しているのかな?と思ったりしました。

    フランス語とスペイン語はロマンス語に属しますが、やはり別々の言語ですね。どちらかを勉強すれば応用が利くとかいうレベルではありません。まぁ、現地の人たちなら、普段から見聞きしている言葉ですし、共通の単語もあるでしょうから、聞き取りにくいことはあっても手も足も出ないということはないでしょう。

    チェコ語、ロシア語はバルト・スラブ語に属します。突然、単語の感じから違ってきます。個人的にはアジア的な…日本語にありがちな語順が割と自由に入れ替わるようなところがあって、親近感が湧きます。このあたり東欧の言語はそもそも近い感じで、国をまたいでも通じそうなくらい。ロシア語はキリル文字なので読めないと困りますが、音は共通するものが多いです。

    「ありがとう」なら…

    ポーランド語…ジェンクイェン

    チェコ語…ジェクイ

    スロバキア語…ヂャクエム

    ロシア語…スパシーバ

    ロシアだけ違いましたね(笑)

    ハンガリー辺りは地理的には東欧に近くてスラブ語圏に囲まれていますが、ハンガリーは民俗的にアジア系なので、まったく言語が違います。それも語学を勉強して知ることができるおもしろさです。

    私はこうやって、興味本位な比較言語学をやってしまっていたので、いい頭の体操になっていたのだと思います。

    ドイツ語も気付くとテキストの終盤まで進んでいたので、検定も受けてみました。幸い検定レベルの丁寧な発音のドイツ語なら聴き取りはできて、5級4級まではすんなり合格できました。

    でも、そのあと間が空いてしまうとダメですね。

    やっぱり英語ほどの蓄積がないので、続けないとだめです。

    本当は3級くらいまでは流れでいけそうだなぁと思っていたのですが、なんかいろいろあって…。

    いずれにせよ、あまり重い目標を設けず、語学を楽しむとか、私のように文化や民俗と一緒に学ぶとかすると無理せず、続けられるのではないでしょうか。

  • 仕事との距離の置き方(その5)遠征

    だいぶ前から”ひとり遠征部”を名乗って、あちこちでこの名称を使わせて頂いているのですが、ふと気付くと遠征できる人の特殊能力みたいなショート動画を見かけるようになりました。

    まず、私の言う”遠征”とは”ひとり旅”のことです。

    ひとことで言えばひとりで何事も決定を下していかなくてはならない状況に敢えて向かうわけですから、”状況判断”と”決断力”を要求されます。

    更に…というか、遠征のスタイルによっては”計画性”がシビアに求められることもあるでしょう。

    ちょっと言葉を濁したのは”行き当たりばったり”の旅を貴ぶ人には少々注意を促したい…。ほとんどの日本人は”帰宅しなくてはならない期日”を持っているはずだし、旅慣れしていないひとに”自由気ままな旅”を推奨したり、これこそ旅の醍醐味とばかりに褒めそやすのはやめて頂きたいと思うのです。

    いや、特に私に何か迷惑が掛かっているわけではないので、お好きにどうぞと言っていたらいいのかも知れないけれど、日本にだって、何時間も電車が止まらない駅があるんです。逆に時刻表やルートにないけど、行きたいところまで行ってくれるバスがあったりするんです。公共交通機関も以前ほど悪天候で無理はしません。

    「1時間に一本くらいはあるでしょ」は甘い。

    時間のあるお方はいくらでも好きなだけ無人駅で過ごすのもぜいたくというものでしょう。

    ただ、日本人の旅行はごく平均でいえば、せわしない。

    電車と飛行機を乗り継ぎ、夜行のバスに乗る。

    なんだったら安価なLCCは夜中早朝発着。

    タイトです。

    それを事前にリサーチして、タイトな段取りを完璧に遂行しないと成り立たないのです。

    これは田舎や離島ほど、注意が必要です。海外はタイトではない代わりにルーズさが乗り換えの切迫を生む可能性(リスク)があるので、そのルーズさを加味しなければなりません。

    だから、どちらかというとガチガチの”計画性”ではなく、現地で起こり得ることに対する想像力です。

    海外のバスターミナルに行くのに、事前に時刻表は把握しているからといって、ぎりぎりに到着する人はいないはずです。バスの発着がルーズだからということもあるでしょうけど、チケットはどこで買うんだろう、そもそもチケット売場はあるの? 目的のバス停には他の行き先のバスも停まるだろう、見分けがつくようになっているのだろうか? 私は若干心配性ではありますが、リスクヘッジはするべきです。

    ひとり遠征はビジネスに必要なスキルを持ち合わせていないと難しいことであると同時に、遠征とは「無事帰ってくること」が最終目標です。

    無鉄砲な遠征は厳に慎むべきで、遭難や命に係わる事故に遭っても、日本という国はそんな無鉄砲者のために国内だろうと海外だろうと救助しに向かう国で、仮に遺体となったとしても国まで送り届ける国だということを感謝とともに忘れてはいけません。

  • うつと瞑想

    瞑想の効果は頭の中の整理、最適化です。これは睡眠も同じ効果があるので、十分睡眠が摂れるのであれば、それだけでいいかも知れません。

    瞑想は割と体調もよくなって、社会復帰したあとに、お昼休みや電車通勤のときにやるといいかも。

    車の運転中は…ダメそうなイメージだけど、決して目をつぶってしなきゃならないものじゃないから、本質というかやり方がわかっていたら、可能です。

    午前中、少しストレス感じたな…、今日はなんか疲れたな…そんなときにプラスαでできるといいんじゃないでしょうか。

    おおまかなやり方は
    姿勢を糺す。背筋を伸ばして、体を揺らして体幹の中心線を探す。
    丁寧に呼吸をする。

    以上です。

    最初の姿勢ですが、あまり形は気にしなくていいのではないかと思います。つまり、坐禅を組まなくても、電車の吊り革につかまった状態でも構わないのです。

    大事なのは呼吸。

    鼻で呼吸をする。

    吸うときは空気の流れを感じて、「鼻から入ってきてるな」と認識する。空気の流れを感じる。吐くときも同じ。「鼻から出ていっているな」と認識する。別に鼻じゃなくても、腹式呼吸で「おなかが膨らんできたな」でもいい。とにかく息を吸ったり吐いたりじゃなくて、その状態を観察して、「今こういう状態だな」と認識し続ける。

    吸うときも吐くときも一定のペースで吸ったり吐いたりする。3秒で吸ったり吐いたりするより10秒の方が難しい。

    最初は…

    「いーち(吸う)」「いーち(吐く)」

    「いーち、にーい(吸う)」「いーち、にーい(吐く)」

    段々長くする。

    「いーち、にーい…きゅーう、じゅーう(吸う)」「いーち、にーい…きゅーう、じゅーう(吐く)」

    あくまで一定のペースで。最後の方で一気に吸い込んだり吐いたりしない。毎回、満タンまで一定のペースで吸い切って、吐き切る。

    大事なのは一定のペースであることと、「今空気が入ってきてるな」などなどと認識すること。これがどうやら自分の内側を見つめることになって、脳の中が整理されていくらしい。

    脳とは言ったけど、心と置き換えてもいいんだと思う。

    瞑想は決して心を空(から)にすることじゃない。

    むしろ見つめて「今こういう状態だな」と観察すること。

    それが仏教の言うところの「内観」なのかどうかはわからないけど、漢字の感じはそれだと思う。

    ちょっと脱線するけど、仏教の言う「空(くう)」が誤解されて、瞑想中は心を無にする、みたいな感じに理解されたんじゃないかと思うのですが、もちろん、瞑想中に騒がしい心の動きを落ち着かせるために心の中を観察するように言っているんだと思います。

    それに付け加えると仏教の「空(くう)」は心の空っぽではなく、目に見えているものはむなしいもの、ただ、このむなしいという言葉の印象もズレが発生しそうですが、目に見えているものは見る人が違えば、別物に見えているから、こだわったり執着することに意味はないよ、という意味だと思います。それを「空(くう)」と呼んでいるだけで、心を空(から)にしなさいとはお釈迦様は言っていないと思います。

    (参考)

    『仏教瞑想論』蓑輪顕量

    『ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄』A・ヴィディヤーランカール

  • ダブルチェックは本当に必要か?

    そんなだいそれたことではない。罠でも何でもない。

    ダブルチェックが機能する環境というのは極めて限定的だと思うのです。

    正直、このダブルチェックが継続的に機能している環境を見たことがない。比較的簡単に破綻する。だから、ダブルチェックしたにも関わらず、ミスが通り抜けてしまった場合、まず、トリプルチェックしましょうという発想になるのはほぼ不正解と言っていい。チェックの在り方を検証しないで回数を増やしても同じこと。

    よく言われるのはAさんがチェックしたから大丈夫、2回目のチェックだから、1回目の人がちゃんと見てるはず、結局Aさんか1回目のチェック者だけでやっているのと同じことだね。下手するとAさんが「ほかの人も見てくれるから」と気を抜いたら、誰もチェックしていないのと同じになる。

    ある意味、精神力の問題になる。

    そして、それに気付いている薬局、企業は多いから、チェックの回数を増やすこと➡ただ単に手間(人件費)が増えて、チェックの質も落ちていいことない、のが常識であり、通説なのではないだろうか。

    結局、システムの力を借りて、人間的な先入観を消すのが一番だとは思う。

    あと、可能なこととしてはダブルチェックといっても同じことをやるのではなく、違う角度で確認をする手法だろうか。ひとりは処方箋の文字を見て必要なものを集めてくる、ひとりは出てきたものの名前と数量を確認したのちに処方箋を見る。プロセスを変える。ここまでくるとやはりシステムの方が得意分野ということになろうが。

    ある程度の企業体であれば、この程度のシステム導入はそれほど大きな問題ではないだろう。費用対効果から言っても必要最低限の投資と言えよう。

    ただ、これが小規模な薬局や病院となると難しいかも知れない。システムだって数を買えば単価は下がる、道理だ。でも、メンバーチェンジが少ない環境でもあるので、「大丈夫だ」という自信も慢心も生まれやすい。そのくせ効率的ではないことが多く、且つ人不足も相まって、気合いとか誇りで解決しようとする。

    そこまでいくと昭和的でもなく、精神力でゼロ戦飛ばせと言うに等しい。

    が、しかし令和でも存在する。化石と言っていい薬局(薬剤部)は実在する。それもベテランだけでやっていけるなら、それでいいのかも知れない。ただ、経営的な観点で継続性は低く、継続以前に従業員が有休を使うこともうっかり体調を崩すことも許されない、過酷な環境がある。それどころか、電話当番とかオンコール対応と称して、公休日にやたら電話が鳴る業務が回ってくる。

    一方、小規模とは関係なく、調剤報酬制度の中に夜間休日に喜んで対応することが組み込まれた。

    今回のテーマとはだいぶ乖離しているが、薬剤師は夜間休日という余暇を捨てることを求められるようになってしまった。

    一方、医師は当直はあるだろうけど、しっかり休むようになってきているんじゃないだろうか。ましてや個人のクリニックであれば、盆も正月もGWもSWもしっかり休む。当番があれば別だけど、なければ緊急電話もないだろう。

    この逆転現象は一体なんなんだろう。

    薬局側は単に薬剤師会のアピールだと思う。

    医師の側はワークライフバランス。

    これで十分説明はついたか…。

  • 医薬品の供給が悪化した背景(その2)

    当初、原薬の供給不安が言われた時期がある。当初とは言ったけど、最近は医薬品ごとの出荷調整の理由もよくわからないので、現在も同じ状況なのか、品目によって違うのは判然としない部分がある。

    もともとインドが原薬の供給減だった。インドの特許制度が結構特殊で、製造工程が違えば出来上がりの成分が同じでも勝手に作って問題なかった。だから、あちこちに安価な原薬メーカーが存在して、日本のメーカーもおおいに利用したらしい。薬価の低いジェネリックなら尚更だろう。

    ただ、品質に問題があった。今すぐ明確な問題がなくても、その品質について再確認する必要に迫られるケースがあったように記憶しているし、同じような状況は最近もある。

    いい喩えではないが、インドという国は使い古しのペットボトルにその辺の水を入れて売る国だ。一方で工業国としても目覚ましい発展をしている国でもある。日本側でも当然品質基準があって取引しているだろうけど。

    戦争も物資の供給にマイナスの要因だろう。飛行機が飛ばない、飛んでも回り道することになりコストが高い、船なら通れる海路、日数、やはりコストアップしかない。

    いろんなことが足かせになる時代になった。

    コストと言えば、日本人の給与水準が上がったせいで、日本人が物を作ると当然できたものの値段が上がってしまう。当然ながら、世界の市場に目を向けてコストダウンを図るのは自然の摂理だと思うけど、国内の製造能力は落ちていく(いった)。

    日本人の給与水準が上がったとは言ったが、別に日本人全員が富裕層になったわけじゃない。相対的に物価は上がっているし、海外の人件費の安い商品のおかげでそれなりに裕福に暮らせるようになったに過ぎない。平均的な日本人の暮らしの中のどこにも余っているお金なんてない。

    いまだに中国製品を嫌う人は多いと思うけれど、なんだかんだ言って、人件費の安い国の製品は安く仕上がる。そんなことを言いながらも何十年も作り続けてきたローコストの製品は品質の面で馬鹿に出来ないくらいのレベルになってきている商品も出てきていないか?

    安かろ悪かろと馬鹿にしていた国に結局のところ競争力で負けているとしたら、笑えないんじゃないか。いくらいいものを作っても売れなければ経済は回らないし、作り手は貧しいままだ。買い手も買わないんだから、いい商品の恩恵に預かれない。

    一方、バングラデシュの貧困層の労働環境が問題になったことがあったけど、結局世界の衣料メーカーがどこもかしこも喰いものにしてる構図があるから、問題にして労働条件が向上して、もちろん賃金も改善されれば当然商品(価格)に反映されてしまうわけで、改善を望まない人たちもいる。

    だから、商品を安く作り続けるためには安い原料と安い労働力が必要なんだけど、矛盾も多い。搾取もあろう。商品だけを見ているとわからないことがたくさんある。