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  • 泥宮(信濃國小県郡)

    当地は単に泥という物質に神性を求めたのではなく、命を育む泥の生命力に感謝したのだと思います。

    泥宮と称したのはごく最近(1790年以降)のことのようだけど、生島足島神社の創建と関連がある時点で、日本列島の始まりとともに在ったというべきなのでしょう。

    生島足島神社の旧跡だったか、のちに旧跡を称したか、そこは何とも言えないけれど、”よくわかっている”と思う。

    この地(地域と言ってもいいかも知れない)には信仰の形態に一貫性がある。日本列島の地面を御神体とする生島足島神社もこの泥宮も別所の塩野神社も日本の信仰形態の極めて原点に近いところにある。社がある時点で原点とは言いづらいのでは?という向きもあろうけど、試しに社を取っ払っても成り立つ信仰があるじゃないですか。

    人格神以前の形態と言っていい。

    この上田~別所の辺りにはより古層の匂いがする。

  • 舟木石上神社(淡路國)

    ここは原始神道の在り方を教えてくれた場所と言えます。

    こちらは社に向かって東ですので、日が昇る祭祀は男性が取り仕切り、女人禁制となります。ただ、お詣りができないわけではなく、女性はチェーンのこちら側からであればお詣りは可能です。ここに至る道も別々で、女性は参道を通れません。

    逆に日が沈む方の祭祀は西に向かってお詣りする形で男女の役割や扱いが逆になります。

    そもそも古代の祭祀の中心は女性だと思ってきましたので(卑弥呼のイメージですね)、新しい発見であったのと、もしかすると時代の変遷の中で変化していって、過渡期的な祭祀の在り方がそのまま残ったケースもあったかも知れません。

    のちに政祭一致が進み、政治も祭祀も、権力のすべてを男性が握っていった歴史を思うとこの姿ですら原点ではなく、どこか途中経過だったのではないかと思わなくもありません。

    天照大御神が男性か女性かという議論もありますが、もともと神が男でシャーマンが女性だった。でも、政治的な都合からシャーマン側(権力者)が男性となり、神は女性の方が都合がいい…そんな変遷があっても不思議ではありません。

    ちなみに月の神である月読命は男神ですので、先の例で女性が陽が沈む西に向かって祭祀をするのは差し支えなさそうです。

    ということは神が男性であるか、女性であるかは結構重要だった可能性はあるのではないでしょうか。

    社の建て方も男神か女神で異なるようですから、政治権力=男となるまではちゃんとした区別があったということでしょうし、でも社を建てるようになって千数百年もすれば、建物の性と中にいるはずの神様の性が食い違うなんてこともそりゃ起こるでしょうね…。

  • 住吉大社(摂津國)

    2025年4月16日7:00

    いろいろとお力をお貸し頂きたくて、住吉大社のみの一点集中遠征でした。1年ほど前のこと。このあと、いろんなことが変わり始めたのは確かです。もちろん、自分からアクションを起こした部分も多々あります。お預かりしたお力をお返しに行かねば…。

    2019年5月22日

    最初にお詣りしたのも似たような季節だったんですね。もう7年が経っていました。本格的に遠征を始めた頃の最初期の遠征地。

    なので、ひとり遠征部の原点のような場所でもあります。

    さて、住吉大社は新羅征伐の記念碑的に創建されたお社で、それを任されたのが津守氏の祖・田蓑宿禰であり、いわゆる神官が神官家の祖先神を祀るというパターンではありません。住吉大社は住吉三神(と神功皇后)を祀り、津守氏の祖先神は天火明命…? あれ?そうだっけ? 

    住吉大社境内の大海神社は津守氏の祖先神をお祀りしていると記憶していましたが、天火明命だった記憶がない…。失礼ながら、そんなビッグネームをお祀りしていた印象がない。改めて、住吉大社のHPを見ますと、現在の御祭神は豊玉彦と豊玉姫のようです。こちらもビッグネームですが。でも、延喜式では「津守安人神」となっているらしいので、こちらの方がリアルな祖先神って感じがします。

    同じく、住吉大社境内の志賀神社には神社名があらわすように海神がお祀りされています。安曇氏の本拠地が志賀海神社ですから、普通に綿津見三神がお祀りされています。

    綿津見三神(綿津見豊玉彦)→宇都志日金拆命(穂高見命)→安曇氏…系譜で繋がるように志賀海神社と安曇氏、穂高神社と安曇野。神社と地域、氏族が無理なく繋がっている感じがします。

    一方、津守氏は綿津見神も天火明命と両方のつながりを匂わせつつ、繋がらないと思わせるニオイも出しています。

    綿津見系の人たちとも天火明系の人たちとも繋がっておきたかった…そんな雰囲気が見え隠れします。

    あまり仮冒という言い方はしたくないのですが、海に生きる人たち同士で同族意識とまでいかなくても仲間意識はあったでしょう?

    実際、津守氏が津守氏を称したのが遣唐使の頃のようなので、安曇氏、尾張氏と比べるとだいぶ新しい氏族です。一方で、ご先祖様は住吉大社創建の誉れにあずかる一族として大きく出世した歴史があるので、若干箔をつけたい気持ちが働いた可能性も…。

    でも、堂々と「津守安人神」をお祀りしたほうが、誇らしくていいと思うのですが、いかがでしょう。

  • 皆神山(信濃國)

    どちらかというと、都市伝説的な部分に興味があって、お邪魔しました。

    熊野出速雄神社

    勘違いしていました。熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野速玉大社から勧請されたものと思っていました。

    「速」という字に釣られていました。

    速玉男命は伊弉諾命のこと、出速雄命はと言えば、諏訪神・建御名方神の息子さん。全く別人で、つまり、この社の始まりは諏訪系。

    いや、伊弉諾命と出速雄命が実在したとすれば、伊弉諾命の方が時代は古いんですけど、信仰としては諏訪系が先でしょうね。熊野修験道のピーク時期を考えても。

    だから、先に諏訪、のちに熊野修験道が絡んで熊野神を祀り、今の形の原型になったということでしょう。

    なので、ホームページにもあるように奈良時代に出速雄神社(創建718年)として始まり、中世に熊野修験道がここに拠点を置き、信濃國の山伏の支配権を持つまでに成長した歴史と整合性が取れます。

    その頃に熊野神を祀るようになり、名前も熊野出速雄神社に改まったのでしょう。

    もしかすると「名前、似てね?」とかそんな会話もあったかもね。

    ずっと熊野系と思い込んでいましたが、やはり諏訪勢力がベースにあるようです。更にもっと古い層はわかりませんが、山の形と言い、信仰の対象だったことは十分考えられる場所だと思います。

    長野市の東南端の山際にこの皆神山だけ縁取りのように平地があって、プリンのようになっています。

    冒頭書きましたように、世界最古の人工ピラミッド説、UFO基地説、山自体が宇宙船説、松代群発地震とUFOの関連等々、スピリチュアル界隈では白飯何杯の聖地なんでしょうけど、行けば普通の山奥の修験道のにおいのする神社、それだけかな。

    山奥…といっても本家の熊野に比べると全然かわいいものですけどね。

    ただ、長居はしたくない感じがして、早々に退去して参りました。明らかに不気味。昼日中にねぇ…。

    もちろん、その正体はわかりませんよ。見えませんもん。そもそも目に見えない存在なのか、何か野生の存在なのか…。

    ただ、気を付けておかなくてはいけないのは、修験道の最後の修行、「入定」について、あまり語られることがないということ。つまり、本当のところを知られていないのではないかということ。

    東北の即身仏のことが話題に上がることがあっても、いかなる修行だったかを知る機会はあまりありません。

    誤解を恐れず言えば…すべてではないようですが…生き埋めの修行です。言葉の意味的には深い瞑想状態(禅定)のまま入滅する(亡くなる)ことのようですが、現実には石窟や洞窟で最後の行として行われるもののようです。

    弘法大師(空海)が今でも高野山で深い瞑想を続けていて、朝に夕に僧侶が食事を届けに行くという話題をテレビでも何度か見たことがあるけれど、もともとは密教の修行形態のひとつのようです。ここでは空海はいまだ生きている、ということになっています。

    奇しくも高野山も熊野も目と鼻の先。

    修行の最終形態として、行の究極の形として、断食と瞑想を続け、そのまま亡くなること…AIには否定されたけど、精神的には瞑想状態が続いていて、同時に肉体を手放しているのだから、生きながらにして肉体を捨てる…と言っていいのではないか…。

    衆生救済のために。

    富山県高岡市の古城公園の付近に定塚町という地名がある。訳があって調べたことがあるのだけれど、由来は熊野修験行者が”入定”した”塚”から来ているのだそう。これは高岡市のHPか何かに書いてあったから、それなりに根拠のある由来だと思う。事実、近所に入定塚遺跡もある模様。

    実はこの件を調べていて、”入定”というものを知ったんだったか、五来重氏の「日本人の死生観」か何かを読んだ前後だったような気もする。

    いずれにせよ、壮絶な修行であることは間違いない。

  • 彌彦神社とポールポジション

    ↑令和8年6月27日(土)

    普通にほぼ満車状態のお昼ごろ。

    ↓令和8年5月27日(水)

    ↓令和8年5月10日(日)

    時々一の鳥居に近い駐車場に停めさせて頂くこともあるので、統計的にはだいぶバイアスがはさまりますが、この第一駐車場に停める時は直近3回はポールポジションです。

    あくまでも混んでいるときは近いところが空いている法則がそのまま当てはまったまでです。

    スピリチュアル界隈の方からすれば、不敬だの信仰心がないだの言われそうですが、駐車スペースが空いていることと信仰心は関係がありません。

    神様が空けて待っていてくれたかどうかは確かめようがありませんし、いずれにせよ、私は感謝しています。

    私がお邪魔するタイミングで一番近い駐車スペースが空いている確率はそれでもかなり低いでしょうから、何かのお力が働いているのかも知れません。

    ただ、以前にもお話ししましたが、誘導の係のいない駐車場では起こり得ることです。空いたところから埋める力学が働きませんから。

    神道は…神の存在を信じる宗教ではないと思います。

    もちろん、人生生きていれば、見えない力に救われたり助けられたり、大きな力に人生を動かされたり、そういったことを感じたことがないではありません。

    でも、神道は…私は神職でもなければ、専門家でもありませんから、多少の間違いや勘違いは見逃して頂きたいのですが…そういった力の背景にある神の存在云々の宗教ではなく、よきにつけわるきにつけ、感謝する宗教なのではないでしょうか。

    助けられたり救われたら、感謝すればよく、もし悪いことに巻き込まれてひどい目にあったとしても、運が悪いとかそういうことではなく、何か教訓や示唆があったのではないか、それに対して感謝すればよく、主語が誰であるかは必要のないこと、意味のないことなのではないでしょうか。

    確か司馬遼太郎先生だったかと思うのですが、中国の宗教は”天”の発明から始まると言っていたかと思います。祖先崇拝と天という人智を超えた存在。

    神道はそれに擬人化が加わったのでしょうけど、それも明治以降の国家神道の影響…というか明治政府の方針だったのか、それまで神社にどの神様がお祀りされているのかいちいち明確にしていなかったと聞きます。それこそ不敬で神様の名前を口に出してお呼びすることなどありえなかったわけです。

    尤も明治政府のおかげで古来の神様を書き換えられてしまって、本当によくわからなくなってしまった神社もあるようですが。古事記日本書紀に登場しない神様は改めよ、というあれです。

    古代までさかのぼれば、さらに神社という建造物が出現する前の時代にはそもそも名前があったのか…。

    そういった原点は想像するしかないけれど、どの神様かなんという名前の神様か…あまり意味はないのではと思ったりします。

    さて、神様が駐車場の一番いいところを空けて待ていてくれたとすれば、それはありがたいことですが、神様はそんなことしなくていいんです。ただでさえ、あれこれお願いされるんでしょうから。商売繁盛、家庭円満、縁結び、受験合格、病気平癒、交通安全…。

    私は…僭越ではありますが…そんな忙しい神様に少しでも些末な心配をさせないよう、しょうもない神頼みが増えないよう、影でね火消しをさせて頂いているまで…。

  • 榛名神社(上毛野國)

    本殿拝殿がずっと工事中でして、あまりいい構図がないので、でも榛名神社は参道がずっと滝や川が拝めて、木々が茂っていますし、何よりも夕方でも早朝でもいい光が集まってきます。

    やっぱり東西の向きは意識されているんじゃないかなぁ。と言っても参道が谷間に沿ってつながっていて、本殿拝殿は巨岩を背負っていますので、自然にそういう形になったと考えるのが自然でしょうね。

    榛名神社は2025年10月に日帰り、12月9~10日の一泊二日と短期間に二度行ってます。

    気に入ったと言ってしまえばそれまでなのですが、二度行ったのは上毛三山ではここだけです。赤城山も湖がありますので、近い雰囲気はありますけど、修験道のにおいの濃い榛名山より柔らかい感じがします。御祭神も火産霊神なので、強力な威厳を感じます。一方、妙義山はさらにごつごつの岩山なので、見たまんまの強靭な印象。それ故に榛名山に比べると乾いた感じがします。

    上毛三山はそれぞれカラーが違うのですが、総じてもともとの地元の神様がいた感じはします。あとから古事記に載っているような神様が重層。

    火の神様、修験道と並べるだけで、鉱山の存在、製鉄の存在を予感させます。修験道の行者は鉱山開発の技術者でもあったはずですから。もう少し、資料的なものを繰らないと…。関東自体が遠かったので、地域のことやなんかに疎いんですよね。どこそこに古墳があるとか、どこそこに製鉄の遺跡があるとか、そういった点の情報をいちいち調べないといけないので。

    少しずつ深掘りしていきますね。

  • 月讀神社(一支國)

    元祖月讀神社。

    ずーっとおかしいと思ってます。

    御祭神のお名前です。

    同一人物じゃないんですか?

    漢字のあてはあまりあてにならない(笑)なんとなく、漢字の意味を理解してあてたように見えなくはないのですが、月弓尊?

    ツキユミ。ツキヨミ。訛っただけ…とは言いませんけど、当時の発音でツキヨミとツキユミが明確に別物とわかる発音だったのか…?

    「母」は現代では「ハハ」です。室町時代には「ファファ」。奈良時代までさかのぼると「パパ」。

    母はその昔パパだったんです(笑)冗談はさておき、それくらい発音は変わっているし、現代のような区切りがはっきりした音節ではなかったような気もします。

    まず、現代の感覚でツクヨミとかツキヨミと発音していた可能性はゼロだと思うんですよね。西暦478年創建だとすると古墳時代ですけど、さきほどの例で言えば、室町時代より奈良時代よりの発音のはず。もちろん、中央の近畿と同じとは言いませんし、絶対違ったでしょうね。

    それに創建時からこの三柱だったのか…。

  • 小島神社(一支國)

    小島神社

    満潮になると参道が消える神社。

    うっかり島の方で満潮を迎えると4時間島で過ごすことになります。

    それがまた、満潮が始まるとすごいスピードで参道がなくなります。

    当時、干潮満潮時刻を調べて行ったと記憶しているのですが、島から戻ってきた途端にザザザザーと潮が満ち始めて島の上にいて気づかなかったり、わずかなタイミングで戻れなかったかも…と鳥肌が立った覚えがあります。

    まぁ、自分の計画ミスなんですけどね。夜じゃなくてよかった💦

    所詮浅瀬だろ?って思うかも知れませんが、あの波の勢いを見たら浅瀬でも戻る気にはならないですね。

    もってかれる。

    神社というところは生と死の境目なんだな。お詣りをして、鳥居をくぐると生まれ変わって外に出る…なんて言いますけど。何がそれを体現しているかのような…。

    そのあと、しっかりウニ飯を頂くことができました。

  • 金刀比羅神社(越後國)

    この一年で見つけた小さいけど居心地のいい場所。住宅街の中にあるし、駐車場もほんの数台分しかないから長居できる場所ではないんだけど。

    お名前から金運に御利益がありそうで、正にそれを売りになさっているのですが、あくまでも自分のお金の使い方や付き合い方を相談させて頂いています。

    人が振り回されるもののひとつにお金がありますよね。たくさん欲しい、お金の心配をせずに生活できたらいいのに、先々のことを考えると何が不安ってお金のこと…。

    間違いではないですよね。一部の富裕層以外は多かれ少なかれ経済的に余裕がない。

    もちろん、使うところは使って、贅沢している人もいれば、毎日を切り詰めて生活せねばならない人もいるでしょうけど。

    よくわからないのは前者。十分贅沢してますよね?って見えるのに、もっともっと。

    いや、それが人間の典型なのか。尽きることのない欲望。

    清貧とか赤貧という言葉があるけど、貧しい方が清いという認識がある。

    つまりはお金に縛られているんだ。もちろん、自分もね。解き放たれる自由も察してはいるけど。お金がある=安心、から抜け出せない。

    言葉遊びかも知れないけど、お金がなくても安心、はまだ縛られている状態。お金があっても安心、はだいぶお金の呪縛から解き放たれつつある状態か…。

    お金というものがあるから不安を煽る。それを乗り越えるとお金と不安の連動を断ち切れるんだろうね。

  • 洩矢神社(信濃國)

    諏訪信仰を語る上で、どうしても外せないのがここ。詳しいお話はいずれするとして、建御名方神以前は洩矢一族が奉斎する神様だったはずです。

    建御名方神も敗軍の将であり、なぜかこの諏訪の地を選んで逼塞することになります。一時は洩矢一族と交戦状態になったはずですが、大和式?の取り込み策で洩矢一族も諏訪の祭祀に取り込んでいきます。

    この洩矢神社は諏訪の神に上書きされずに我が神として祀り続けた場所だったのではないでしょうか。

    諏訪という地に来たら来た分だけ、いろんな層を見付けることになり、神長官として取り込まれた洩矢一族は無視できない存在です。

    故にいつかお訪ねしようと気にかかっておりましたが、注連縄の紙垂を見てわかるようにどうも歓迎されていないような気がしてならない。暴風といっていい。もちろん地形的には山の斜面であり、諏訪湖に開ける街道の近くですから、隘路を通る風が圧縮されて強くなることはあるでしょう。

    しかし、鳥居をくぐる前は何もなかった。くぐって拝殿に近づけば近づくほど風が強くなる。

    この日は前日から5月としてかなり暑い日で何か気圧差が生まれたのかも知れないけれど、タイミングが絶妙すぎる。風以外の圧、威圧といっていい恐怖感。

    これは速やかに退散するに如かず。

    歴史資料としては重要な場所ですが、今後は遠慮しましょうか…。