
どちらかというと、都市伝説的な部分に興味があって、お邪魔しました。
熊野出速雄神社
勘違いしていました。熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野速玉大社から勧請されたものと思っていました。
「速」という字に釣られていました。
速玉男命は伊弉諾命のこと、出速雄命はと言えば、諏訪神・建御名方神の息子さん。全く別人で、つまり、この社の始まりは諏訪系。
いや、伊弉諾命と出速雄命が実在したとすれば、伊弉諾命の方が時代は古いんですけど、信仰としては諏訪系が先でしょうね。熊野修験道のピーク時期を考えても。
だから、先に諏訪、のちに熊野修験道が絡んで熊野神を祀り、今の形の原型になったということでしょう。
なので、ホームページにもあるように奈良時代に出速雄神社(創建718年)として始まり、中世に熊野修験道がここに拠点を置き、信濃國の山伏の支配権を持つまでに成長した歴史と整合性が取れます。
その頃に熊野神を祀るようになり、名前も熊野出速雄神社に改まったのでしょう。
もしかすると「名前、似てね?」とかそんな会話もあったかもね。
ずっと熊野系と思い込んでいましたが、やはり諏訪勢力がベースにあるようです。更にもっと古い層はわかりませんが、山の形と言い、信仰の対象だったことは十分考えられる場所だと思います。
長野市の東南端の山際にこの皆神山だけ縁取りのように平地があって、プリンのようになっています。
冒頭書きましたように、世界最古の人工ピラミッド説、UFO基地説、山自体が宇宙船説、松代群発地震とUFOの関連等々、スピリチュアル界隈では白飯何杯の聖地なんでしょうけど、行けば普通の山奥の修験道のにおいのする神社、それだけかな。
山奥…といっても本家の熊野に比べると全然かわいいものですけどね。
ただ、長居はしたくない感じがして、早々に退去して参りました。明らかに不気味。昼日中にねぇ…。
もちろん、その正体はわかりませんよ。見えませんもん。そもそも目に見えない存在なのか、何か野生の存在なのか…。
ただ、気を付けておかなくてはいけないのは、修験道の最後の修行、「入定」について、あまり語られることがないということ。つまり、本当のところを知られていないのではないかということ。
東北の即身仏のことが話題に上がることがあっても、いかなる修行だったかを知る機会はあまりありません。
誤解を恐れず言えば…すべてではないようですが…生き埋めの修行です。言葉の意味的には深い瞑想状態(禅定)のまま入滅する(亡くなる)ことのようですが、現実には石窟や洞窟で最後の行として行われるもののようです。
弘法大師(空海)が今でも高野山で深い瞑想を続けていて、朝に夕に僧侶が食事を届けに行くという話題をテレビでも何度か見たことがあるけれど、もともとは密教の修行形態のひとつのようです。ここでは空海はいまだ生きている、ということになっています。
奇しくも高野山も熊野も目と鼻の先。
修行の最終形態として、行の究極の形として、断食と瞑想を続け、そのまま亡くなること…AIには否定されたけど、精神的には瞑想状態が続いていて、同時に肉体を手放しているのだから、生きながらにして肉体を捨てる…と言っていいのではないか…。
衆生救済のために。
富山県高岡市の古城公園の付近に定塚町という地名がある。訳があって調べたことがあるのだけれど、由来は熊野修験行者が”入定”した”塚”から来ているのだそう。これは高岡市のHPか何かに書いてあったから、それなりに根拠のある由来だと思う。事実、近所に入定塚遺跡もある模様。
実はこの件を調べていて、”入定”というものを知ったんだったか、五来重氏の「日本人の死生観」か何かを読んだ前後だったような気もする。
いずれにせよ、壮絶な修行であることは間違いない。
コメントを残す