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  • PDCAサイクルをまわす。

    Plan→Do→Check→Action

    このサイクルをまわすこと自体はそんなに難しいことじゃない。

    放置せず、期限を設ける、それだけ。

    いつまでに計画を実行するか、その計画をいつまでに実行すべきなのか、リミットが決まっているなら、そこから逆算すればいいだけで、自然と全体の日程が決まること。

    よく検証(check)が難しいとは言われるけど、それにしたって、毎週何曜日何時(あるいは定期のミーティング)、と決めてしまえば、もうサイクルはまわったと同じだし、そこに信頼(安定してサイクルが回ること)があれば、厳格なPlanは必要ないかも知れない。走りながら修正するシステムに乗っているんだから。

    ただ、このcheckはcheckそのものに少々技術が必要かも知れない。checkするメンバーが揃いも揃って事なかれ主義なら意味はないし、あまり、掘り下げすぎて課題を盛り込みすぎても今後のスピードが落ちる。それも着地の時期によっては急ぐこともあるだろうし、時間があればあったで、優先を決めて動かないといつまでも問題を抱えたままになる。抱えたままでもいい問題ならむしろ流して(放置して)おけばいいけど、爆弾級の問題を抱えて走り続けるのはリスクだろう。

    だから、PDCAサイクルをまわすとは単に期限管理ひとつで終わる話。やり方はそれだけ。

    ただ、そもそもこのサイクルをまわすのが正しいのか、ふと疑問や戸惑いを感じることが増えた。

    わかりやすい理由は常に改善をし続けなくてはならないプレッシャーとかストレスがなくはないこと。もちろん、これによって仕事が楽になったり、質が良くなったりすれば、結果的には自分たちの利益になることだから、無駄ではないんだけど。

    問題を抱えたまま…という状況がどのくらいのリスクかにもよるかも知れない。手が付けられないほど、根深い問題が何層も折り重なっている…そんな場所もある。

    一度全部ぶっ壊すしかない…そう思えてくるような場所もある。

    もし、そんな状況なら、PDCAなど生ぬるいし、時間と手間の割りに物事の進まなさ加減に疲れるに違いない。

    恐らく、PDCAを回し始める時点で、着地が見えているのではなかろうか。そのくらいの全体像でなければ成り立たないのかも知れない。

    だから、その場限りの思い付きでやる付け焼き刃のPDCAよりもKJ法か何かで問題の全体像を明確にして、一発で問題を仕留める策を組み上げた方がいいだろう。

    問題が多すぎるからと言って、しらみ潰しのPDCAを何回転も回すのは所詮、無駄になるのではなかろうか。

  • 住吉神社(信濃國安曇郡)

    創建は大同年間(806~810年)に、かの坂上田村麻呂が勧請したと伝わるお社です。

    山の中に海の神様はこの安曇野においてはむしろ定番ですから、ここでは特に違和感はないとしましょう。

    むしろ、坂上田村麻呂の東征に興味が湧きます。しかし、パッと軽く検索してみても征討の経路は出て来ないようです。陸奥國での出来事はそれなりに記録があるようなのですが。

    当地、安曇野関連でいうと八面大王を征伐した話が残っていますが、どうやら伝承の域は出ないようです。何かしらの勢力いて坂上田村麻呂と対抗したとしてもなんら不思議ではありませんが、田村麻呂が当地を通って北上したのか、八面大王あるいは象徴するような勢力がいたのか、実際田村麻呂と摩擦があったのか、貼面大王は統治者だったのか、山賊のような位置付けだったのか、どれもはっきりしないようです。

    わかっているのは在地勢力仁科氏の『仁科濫觴記(にしならんしょうき)』に比較的詳しく載っているようで、何かしらの勢力があったのかも知れません。ちょうど、仁科氏が勢力を張った仁科神明宮と八面大王がいたとされる有明山神社付近は平地を挟んで東西の関係です。『仁科濫觴記』によると有明山に巣食う鬼賊をを討ったのは田村守宮という人のようで、だからと言って田村麻呂と間違えるか?と思うんですよね。

    ”意図的に”ビッグネームの名を借りた。

    そんなところじゃないでしょうか。

    まぁ、そんな仮冒があったとしてもこの住吉神社はそれなりの規模があり、当時もこの安曇野の地で勢いのある存在だったのではないでしょうか。そんな感じはします。

    既に安曇氏が奉斎する穂高神社があり、別系統ながら海にまつわる神様を勧請したのには何も意図がなかったはずがありません。

    少なくともこの山国で安曇氏と肩を並べるだけの価値が”住吉神”にあったはずです。もちろん、格だけでいえば諏訪系でも構わないような気もしますが、海神である必要性を感じますね。

    だとすると田村麻呂がなぜ?と思ってしまいます。田村麻呂は東漢氏(やまとのあやうじ)出身です。大陸にルーツのある人なのですが、海神族のイメージはないですよね。もちろん、田村麻呂のイメージに引きずられすぎて”武官のお家柄”と決めつけるのは間違いの元のような気はしますが、この時代海外勢は武人か文官として立身を狙ったのではないでしょうか。安曇氏ですら外洋に出ることより、陸地に生業を求めていったのですから、坂上氏の素性を知らないだけかも知れません。

    ただ、田村麻呂がこの安曇野の地にやってきたかどうかは何も証拠はないようです。八面大王を征伐したのも別人のようです。

    現段階では”伝承”の域を出ないのは確かです。

  • AC/DC

    元気になるのよ。あ、ライブ映像ね。

    Angus Youngがステージを文字通り縦横無尽にかけまくる姿はRockそのものだよ。Rockの生き神様。


    金太郎飴だのなんだの言われて、それが50年以上やってるんだから、馬鹿にしているんなら、やってごらんよ。誰もできないし、勝てない。

    それならオススメは2003年の『Live』かい?となるけど、もちろんオススメには違いないし、音源でも映像でも見応え聴き応え十分。


    でも、No.1は『BALLBREAKR』。『Back in Black』でもなくね。何故と問われても困る。とにかく、当時乗っていた車のCDチェンジャーに丸2年以上収まり続けた。

    気付いたら、この『BALLBREAKR』ばかりを2年以上聴き続けていた。我ながらちょっと狂気染みているとも思ったけど、これ以外の音に興味がわかなかったし、他を探そうとも思わなかった。

    当時の音楽趣味としてはこの1枚でコンプリートしてしまったんだと思う。

    Screenshot

    AC/DCに出会った頃にはすでにBluesでも相当古い方向まで研究していたし、70年代のブリティッシュロックもそれなりに体験して聴き込んで、もう他に何が必要?という状態になっていたかも知れない。

    もう、おもしろいものがなかったんだ。

    The Very Rockと言えるすべてを内包した存在がAC/DCだった。

    でも、それもあんちゃん(Malcolm Young)が亡くなった(2017年11月18日)ことで終わってしまった。

    惜しい人がどんどん亡くなる。

    ちなみにAC/DCとわたしは同い年。

    まだまだ現役で活動はしているみたいだけど、リードギターのAngusが「ギターが一番うまいのは兄貴だ」って言うように、AC/DCのリズムを刻んでたのはMalcolmだから。もちろんAngusが走り回れるうちはAC/DC健在なんだろうけど、俺のAC/DCは『Black Ice』で止まっています。幸いこの時のツアーを見に行けたのはラッキーだったとしか言いようがありませんね。

    あんちゃん、決してあんちゃんを教訓に酒をやめたわけじゃないけど、あの世に行ってもお酒はほどほどにね。

  • 仕組みで動かすことと人の成長

    そもそも、仕組みで組織を動かすということはそこにいる人たちがベテランだろうがビギナーだろうが、ある一定のパフォーマンスを発揮することを目指している。もっと言えば、病気や配置転換でやむを得ない人員配置の変化があってもそのパフォーマンスを低下させないことも含まれる。

    裏を返せば、しかもdrasticな言い方をすれば、そこにいる人間の能力に頼らないことを念頭に置いている。

    これは心情的にはやや不愉快さを感じる向きもあろうが、経営的にはいつ辞めるかわからない人にお金をかけて教育(育てる)するより、仕組みを運用できる能力さえあれば十分で、それはマニュアルが読めるだけの日本語能力がある、とか、仕事の手順といった社内のルールや今時なら法律を守るだけの遵法精神さえあれば、それで十分で、コストも格段に低く済む。

    某社にいたとき、自分を含めた各部の部長がまとめて解任されたことがあった。本当の理由は何であれ、こんなことを言われてすごく意外だったことがある。「お前らみたいにパソコンから作れる人材はもう要らないんだ。パソコンは操作さえできれば十分」と。

    なるほど、それだけ会社は成熟し、仕組み化(パソコンは作成)されたわけで、もうそれさえ運用(パソコンを操作)できれば十分なんだと。

    まぁ、当時解任された部長たちへの賛辞ととらえてもいいし、やっぱり解任されたのだから、本人たちにとってみれば理不尽この上なかった。

    パソコンを作る能力に長けていて重用されたかと思えば、その能力は邪魔だから、外れてくれ、と。

    今更ではあるけど、私も含めてその部長連に会社への不満もなければ、経営トップに対する不信感や反感もなく、むしろ世代交代の時期でもあったから、新しい社長を支えることを考えていたし、真剣に会社の今後の発展を考えていたと断言する。

    もちろんね、サラリーマンですから、何ひとつ文句がなかったとは言いません。でも、それは自分たちの力で解決していけると思っていただろうし、その責任がある立場だと認識していたんじゃないでしょうかね。

    ただ、本当にもうパソコン操作のみできればいいというのであれば、会社にとっては迷惑な存在だったのかも知れない。恐らくそれ以降もよかれと思い、改善改革に邁進したであろうし、私は人事担当であったから、私が入社した頃のトップだった人の言に従って、”人の育つ環境”を模索し続けたでしょう。

    細かい部分での考え方の違いや、立場の違いで、理解の仕方も違っていたかも知れないし、今の時点でも私自身、当時の経営陣の気持ちを正しく理解していないのかも知れない。

    ただ、少なくとも当時在籍していた会社がどうとかいう話ではなく、ひとを育てるにはお金がかかるし、やり方も固定(既成)のものはないし、そうすると効果も達成度もわかりづらい。そんなふわっとしたものに経営資源を投入し続けるリスクはやはり冷静な経営者ほど難しいと考えるに違いない。

    だから、企業体の中で”人を育てる”ということが如何に難しいことであるかは理解しなくてはいけない。

    かたや、マンパワーに依存して拡大してきた企業は規模が小さいうちはそれなりに技術伝承が可能でうまくやれているようにも見えたけど、仕組みも体系的な教育もないとなると企業の規模拡大とともに急速に技術伝承ができなくなり、品質が落ちる。せめて教育という概念があれば、ひとりの熟練者が多くの若手に技術を伝授しようという思考にもなったかも知れないが、残念ながら個人→個人の伝達では会社の規模拡大のスピードに追い付けず、一気にパフォーマンスが薄まった(人材の薄まりはこの時期、業界全体の課題ではあった)。それでも勢いのあるうちは経験豊富な人材(中途採用者)が集まり、それなりにその勢いは維持された。でも、あるとき、その勢いに陰りが出始めた途端に経費に目を向け始めた。いや、経費に目を向けるのはいつでも大事なことなのに、行き詰ったときに目を向けると大抵”経費だけ”に目を向ける。つまり費用対効果ではなく、経費(販管費)単体で数字を見て、多い少ないとこねくり回し始めるのが常で、客数を呼び込むはずのチラシを全部やめてしまったり、計算値だけで人件費を削り始めた。当然優秀な人材の採用もやめてしまい、店舗の人時も削り始めた。いや、計算値自体何も悪くはなく、何かしらの基準を設けて人員配置するのは何も風変わりなことではないけど、その数値を用いる人間の方が不勉強なのか、判断が適正ではなかった(と感じている)。

    例えば、売上と人時を比例させるところまでは売上と作業量が比例するという視点で大きく間違ってはいないけど、売上の大小に関係なく必要とされる最低限の業務というのはどんな仕事にもあって、それが考慮されなかった。間もなく修正はされたけど、そのたびに何万人という社員従業員が右往左往した。人件費削減のために右往左往した社員従業員のコストがプラスされた。イニシャルコストではあるけど、不要なコストだったはず。※仮に6万人の従業員が「え?」と立ち止まっただけで、それが仮に1秒だったとして、6万秒=1,000分=16.7時間、社員の平均時給は2,000円程度らしいので掛け算すれば33,333円/時。もちろん「え?」だけでは済まず、それまでに費やしてきた準備の時間や、朝令暮改の修正のために何時間と時間を掛けることになる。10時間なら30万円、24時間なら80万円。小規模なドラッグストアなら何日分もタダ働きしたことになる。

    小売業(だけではないかも知れないが)には「走りながら考える」という言葉(思想と言っていい)がある。緻密に計画している間に走り出せ、走りながら考えろ、そして走りながら修正しろ、という思想。これが行き過ぎると無計画に何も考えずに走り始め、会社の規模によっては修正(走りながら思いついたこと)のために膨大なコストが発生する。大勢の人間はやり直しに近い手間をかけることになり、これほど無駄なことはない。修正とは言ったものの、実質やり直しが多い会社もあった。

    仮にマンパワー一辺倒の企業に社員教育という概念があれば、若干均一性と継続性の高い運営が可能だったかも知れないと思う。

    日本最大の小売業のイオンは組織力と教育を両立していた会社なのではと思ったりもしたが、確証はない。いくらか企業間の交流があり、知り合いがいた程度であるから、自信はないし、正直企業規模が大き過ぎてよくわからないといった方が正しいかも知れない。ただ、〇〇一辺倒ということはなく、歴の古い方にお話を伺えば「昔は勢いというか…」と小売業らしく、マンパワー頼りだった時代もあり、それでも大きくなるにはそれだけでは無理で企業体として権限移譲や人材育成、広報などのイメージ戦略等々を以て巨大化したのであろう。

    何かひとつではないのは確かだろうし、何かひとつに偏るリスクはあるのではないか。何かひとつ得意分野があってもいいのだろうけど、それだけではリスクヘッジできない。

    ただ、偏るにしても何に偏るかによって強い弱いはありそう。少なくともマンパワー依存だけは違いそうだし、それで何十年もやってきた会社に新しい文化は難しいのだろう…。

  • 舟木石上神社(淡路國)

    ここは原始神道の在り方を教えてくれた場所と言えます。

    こちらは社に向かって東ですので、日が昇る祭祀は男性が取り仕切り、女人禁制となります。ただ、お詣りができないわけではなく、女性はチェーンのこちら側からであればお詣りは可能です。ここに至る道も別々で、女性は参道を通れません。

    逆に日が沈む方の祭祀は西に向かってお詣りする形で男女の役割や扱いが逆になります。

    そもそも古代の祭祀の中心は女性だと思ってきましたので(卑弥呼のイメージですね)、新しい発見であったのと、もしかすると時代の変遷の中で変化していって、過渡期的な祭祀の在り方がそのまま残ったケースもあったかも知れません。

    のちに政祭一致が進み、政治も祭祀も、権力のすべてを男性が握っていった歴史を思うとこの姿ですら原点ではなく、どこか途中経過だったのではないかと思わなくもありません。

    天照大御神が男性か女性かという議論もありますが、もともと神が男でシャーマンが女性だった。でも、政治的な都合からシャーマン側(権力者)が男性となり、神は女性の方が都合がいい…そんな変遷があっても不思議ではありません。

    ちなみに月の神である月読命は男神ですので、先の例で女性が陽が沈む西に向かって祭祀をするのは差し支えなさそうです。

    ということは神が男性であるか、女性であるかは結構重要だった可能性はあるのではないでしょうか。

    社の建て方も男神か女神で異なるようですから、政治権力=男となるまではちゃんとした区別があったということでしょうし、でも社を建てるようになって千数百年もすれば、建物の性と中にいるはずの神様の性が食い違うなんてこともそりゃ起こるでしょうね…。

  • うつと瞑想

    瞑想の効果は頭の中の整理、最適化です。これは睡眠も同じ効果があるので、十分睡眠が摂れるのであれば、それだけでいいかも知れません。

    瞑想は割と体調もよくなって、社会復帰したあとに、お昼休みや電車通勤のときにやるといいかも。

    車の運転中は…ダメそうなイメージだけど、決して目をつぶってしなきゃならないものじゃないから、本質というかやり方がわかっていたら、可能です。

    午前中、少しストレス感じたな…、今日はなんか疲れたな…そんなときにプラスαでできるといいんじゃないでしょうか。

    おおまかなやり方は
    姿勢を糺す。背筋を伸ばして、体を揺らして体幹の中心線を探す。
    丁寧に呼吸をする。

    以上です。

    最初の姿勢ですが、あまり形は気にしなくていいのではないかと思います。つまり、坐禅を組まなくても、電車の吊り革につかまった状態でも構わないのです。

    大事なのは呼吸。

    鼻で呼吸をする。

    吸うときは空気の流れを感じて、「鼻から入ってきてるな」と認識する。空気の流れを感じる。吐くときも同じ。「鼻から出ていっているな」と認識する。別に鼻じゃなくても、腹式呼吸で「おなかが膨らんできたな」でもいい。とにかく息を吸ったり吐いたりじゃなくて、その状態を観察して、「今こういう状態だな」と認識し続ける。

    吸うときも吐くときも一定のペースで吸ったり吐いたりする。3秒で吸ったり吐いたりするより10秒の方が難しい。

    最初は…

    「いーち(吸う)」「いーち(吐く)」

    「いーち、にーい(吸う)」「いーち、にーい(吐く)」

    段々長くする。

    「いーち、にーい…きゅーう、じゅーう(吸う)」「いーち、にーい…きゅーう、じゅーう(吐く)」

    あくまで一定のペースで。最後の方で一気に吸い込んだり吐いたりしない。毎回、満タンまで一定のペースで吸い切って、吐き切る。

    大事なのは一定のペースであることと、「今空気が入ってきてるな」などなどと認識すること。これがどうやら自分の内側を見つめることになって、脳の中が整理されていくらしい。

    脳とは言ったけど、心と置き換えてもいいんだと思う。

    瞑想は決して心を空(から)にすることじゃない。

    むしろ見つめて「今こういう状態だな」と観察すること。

    それが仏教の言うところの「内観」なのかどうかはわからないけど、漢字の感じはそれだと思う。

    ちょっと脱線するけど、仏教の言う「空(くう)」が誤解されて、瞑想中は心を無にする、みたいな感じに理解されたんじゃないかと思うのですが、もちろん、瞑想中に騒がしい心の動きを落ち着かせるために心の中を観察するように言っているんだと思います。

    それに付け加えると仏教の「空(くう)」は心の空っぽではなく、目に見えているものはむなしいもの、ただ、このむなしいという言葉の印象もズレが発生しそうですが、目に見えているものは見る人が違えば、別物に見えているから、こだわったり執着することに意味はないよ、という意味だと思います。それを「空(くう)」と呼んでいるだけで、心を空(から)にしなさいとはお釈迦様は言っていないと思います。

    (参考)

    『仏教瞑想論』蓑輪顕量

    『ヨーガ・スートラ パタンジャリ哲学の精髄』A・ヴィディヤーランカール

  • アベフトシ

    このひとのおかげで何度テレキャスを買おうと目論んだことか。

    いや、俺にテレキャスを買わせようとした人は他にもたくさんいるけれど、ホントのホントにテレキャスしか弾かないギタリストはアベフトシかAlbert Collinsくらいじゃねぇか(笑)

    でも、最後には踏みとどまるんだ。テレキャス買っちまったら、テレキャスのワクから抜け出せなくなる。

    アベフトシの高速カッティング、Albert Collinsのアイスピッキング、Kieth RichardsのオープンG…すべてテレキャスとセットじゃないか。いや、タッグじゃないか。

    そのくらい、テレキャスという楽器に固定のイメージが出来上がってしまっている。何本もコレクションしているような人ならいざ知らず、虎の子の一本を購入しようと思うとテレキャスはあまりに縛りが多い。まぁ、その縛りもまたカッコよさなのだけれどね…。

    さて、彼がなくなったのが2009年7月22日だそうだから、そろそろ17年になる。42歳はあまりにも早い。でも、ミッシェルが終わった時に終わったんだと思うようにしている。ミッシェル以外であのコードワークやったら、ミッシェルになってしまうじゃないか。

    もし、まだ彼が生きていたら…なんてことは考えない。ましてやチバも死んだ。

    誰も追い抜けない伝説になった。

    それでいいじゃないか。

    ※Kiethは確かにテリーのイメージだけど、実際はGibson系も多い。

  • ダブルチェックは本当に必要か?

    そんなだいそれたことではない。罠でも何でもない。

    ダブルチェックが機能する環境というのは極めて限定的だと思うのです。

    正直、このダブルチェックが継続的に機能している環境を見たことがない。比較的簡単に破綻する。だから、ダブルチェックしたにも関わらず、ミスが通り抜けてしまった場合、まず、トリプルチェックしましょうという発想になるのはほぼ不正解と言っていい。チェックの在り方を検証しないで回数を増やしても同じこと。

    よく言われるのはAさんがチェックしたから大丈夫、2回目のチェックだから、1回目の人がちゃんと見てるはず、結局Aさんか1回目のチェック者だけでやっているのと同じことだね。下手するとAさんが「ほかの人も見てくれるから」と気を抜いたら、誰もチェックしていないのと同じになる。

    ある意味、精神力の問題になる。

    そして、それに気付いている薬局、企業は多いから、チェックの回数を増やすこと➡ただ単に手間(人件費)が増えて、チェックの質も落ちていいことない、のが常識であり、通説なのではないだろうか。

    結局、システムの力を借りて、人間的な先入観を消すのが一番だとは思う。

    あと、可能なこととしてはダブルチェックといっても同じことをやるのではなく、違う角度で確認をする手法だろうか。ひとりは処方箋の文字を見て必要なものを集めてくる、ひとりは出てきたものの名前と数量を確認したのちに処方箋を見る。プロセスを変える。ここまでくるとやはりシステムの方が得意分野ということになろうが。

    ある程度の企業体であれば、この程度のシステム導入はそれほど大きな問題ではないだろう。費用対効果から言っても必要最低限の投資と言えよう。

    ただ、これが小規模な薬局や病院となると難しいかも知れない。システムだって数を買えば単価は下がる、道理だ。でも、メンバーチェンジが少ない環境でもあるので、「大丈夫だ」という自信も慢心も生まれやすい。そのくせ効率的ではないことが多く、且つ人不足も相まって、気合いとか誇りで解決しようとする。

    そこまでいくと昭和的でもなく、精神力でゼロ戦飛ばせと言うに等しい。

    が、しかし令和でも存在する。化石と言っていい薬局(薬剤部)は実在する。それもベテランだけでやっていけるなら、それでいいのかも知れない。ただ、経営的な観点で継続性は低く、継続以前に従業員が有休を使うこともうっかり体調を崩すことも許されない、過酷な環境がある。それどころか、電話当番とかオンコール対応と称して、公休日にやたら電話が鳴る業務が回ってくる。

    一方、小規模とは関係なく、調剤報酬制度の中に夜間休日に喜んで対応することが組み込まれた。

    今回のテーマとはだいぶ乖離しているが、薬剤師は夜間休日という余暇を捨てることを求められるようになってしまった。

    一方、医師は当直はあるだろうけど、しっかり休むようになってきているんじゃないだろうか。ましてや個人のクリニックであれば、盆も正月もGWもSWもしっかり休む。当番があれば別だけど、なければ緊急電話もないだろう。

    この逆転現象は一体なんなんだろう。

    薬局側は単に薬剤師会のアピールだと思う。

    医師の側はワークライフバランス。

    これで十分説明はついたか…。

  • 完璧な計画より稚拙でもスピード

    籠城されると攻め手の負担が途端に増える。

    時間稼ぎされると攻め手にとっては費用対効果が悪い。

    籠城する方は端から籠城なんだから、最初から何日粘れるか、そのつもりでいるんだから。

    でも、攻め手は籠城を決め込まれた時点で、成果なく経費だけが掛かり始める。そうはいっても籠城側はいつか兵糧は尽き、攻め手側はいくらでも調達出来るんだから、最終的には籠城側は干上がってどんな形であれ、攻め手に勝利が転がり込んでくるでしょ? と思うだろうけど、何日かけようが攻め手が勝利によって手にする成果は城ひとつであって、かけた日数によって城が増えるわけではない。その成果から攻め落とすまでにかかった費用を差し引かねばならない。貴重な兵糧を無駄にはできないから、経費を考えると早めれば早い方がいい。ところが敵(籠城側)もそれなりに戦闘力のある集団だろうから、籠城側が弱り切ってから攻めた方が攻め手の人的損耗は減らせるかも知れない。そうすると籠城側が弱るまでの期間の兵糧も必要経費として含み置く必要があって、算段しなくてはならない。

    戦国武将とて領国を経営する経営者だから、そこから徴収した兵糧を資源にして敵地を切り取るんだから、同じものを得るのに何倍も兵糧を費やすような愚策は避けたくないはずがない。

    ただ…そこに気付かない人も少なくない。

    兵糧の計算はできる。目に見えるから。食べれば減るから。人数分減るから。

    なのに、”人が動く”ことに対して、動けば動くほどお金がかかってしまっていることに気付かず、できない人が多い。

    「おまえな、こうやって手でモノ触った時点でお金がちゃりんって音が聞こえにゃだめだ」って昔言われましたっけ。

    また、別の人からは「昼寝しているうちにあの仕事終わってたらいいのに」。

    若干仕事の姿勢は違うようですが、事実、昼寝まではいかなくても同じ成果を出すのに、汗水たらしている会社とそうでない会社があるのは確かです。

    汗水たらしている側も「もうちょっとなんとか楽できんのか」と思うのが正常で、汗水たらして悦に入っているのはこれは間もなく滅ぶ前兆。これはガテン系の方々を揶揄しているのではないですよ。

    兵は拙速を貴ぶ。

    若干稚拙であっても勝負事はスピード。

    実際の戦闘は緻密な計算より、意表を突くほどのスピードだ。意表を突けと言ったのは孫子だけれど。

    意表を突くというのは想像を超える、ということだから、爆速じゃないといけない。

    鍵十字のドイツ軍がイケない薬を使って不眠不休で行軍して敵の意表を突いたのも哲学としては同じもので、いや、薬を使ったところをあれこれ言おうかと思ったけど…戦争に良いも悪いもないものか…。

    兵は拙速を貴ぶ。

  • 生島足島神社(信濃國小県郡)

    諏訪の神様が諏訪に入る前にお立ち寄りになって、なにやらやりとりがあったという伝承がありますから、その前からこの地におわした神様ということになります。

    そりゃ、ご神体がこの日本の地面なのですから、日本列島ができた時から、いらっしゃったわけです。

    ふと日本書紀の序盤に「一書に曰く…」に泥の神様がいたな…と調べてみますと「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)」が登場します。この”ひこぢ”は泥の古語だそうです。だからといって泥の神様かどうかはわかりませんが、原初的な神様には違いなく、であれば、泥の神様でもまったく不思議はなく、生を育む大地を祀っているあたり、神道の起源っぽくていいじゃないですか。

    ただ、日本列島をご神体としてお祀りすると、日本中で日本人が踏みつけにしているわけで…。拝殿の前だけ撮影禁止になっていましたが、その程度でええんか?と恐縮したくなる…。

    世界中に神様はたくさんいらっしゃいますが、中国のように「天と地」という概念的な感じ方ではなく、植物を育て、その植物を食べて生き物が命をつなぎ、すべての生を育む大地という概念はほかにも例はあるのでしょうか。

    とまぁ、ChatGTPに訊いてみたら意外と世界にもいらっしゃるようなので、機会があれば調べてみてください。

    ただ、少し興味深いのは「可美葦牙彦舅尊(うましあしかびひこぢのみこと)」も土そのものというより、生命力を神格化しているんですよね。そういうところに古代人の想像力の深さを感じます。生に対して敏感な感性。古代人の感性は尊すぎです。

    さて、こちらの生島足島神社は科野国造の本拠地だったそうで、そうなるとちょっと話が変わってきます。

    神武天皇―神八井耳命―?―武五百建命(初代科野国造)

    建御名方神と生島神・足島神との交流時代とはまったく別物で、科野国造家はずっとあとになって当地に入ってきたんだと思うのですが、入ってきた後も御祭神を大和風にはせず、元々の神様を客神に書き換えなかったのは賢明です。

    ”入ってきた”と書きましたが、まさか「こんにちは」と軽い感じでやってきたわけではないでしょう。国造は在地の支配者が大和に取り込まれて”国造”に任命されたものと思っていましたが、もし、上記の系図のように大和系の人たちの派遣であるなら、「こんにちは」ではなかったでしょう。

    そもそも、神社の御祭神書き換えに見るああいうやり方って、ちょっとおかしいと思うんですよね。何か平和的に在地の神様を取り込んだ(地域を支配した)みたいな顔をしていますけど、「どけっ」て弾いたに過ぎない。

    科野国造家に良識があったかどうかはわかりませんが、余計な恨みを買わずに済んだはずです。

    こういう見方をすると、また違った見え方がするかも知れません。層が変わっているのに御祭神がすり替わっていないケースもあれば、重層とともに古い神様の扱いが変わった形跡がある場合。単純に前者は外来者が浸透していった印象を受けるし、後者は強硬に立場を奪ったニオイがします。いずれも落としどころを模索した可能性はありそうですが、背景となるプロセスは違いそう。

    在地の人間(支配を受ける側)としても柔軟に受け入れた場合と何かしらの抵抗をした場合と違いがあったかも知れません。

    稲作の受け入れも波状的に普及したのではなく、ムラによって、やるorやらない、があったようです。最終的には備蓄できる米に惹かれていったのかも知れませんが、その前から、採集生活一辺倒ではなく、”栽培”つまり、種や苗から植物を育てて、食料を確保するくらいのことはやっていたんですから、差し迫って稲作を導入する理由はなかったはずです。

    そう考えると大和系の支配というのはそれほど強大ではなく、むしろか細く、武力より交渉や浸透に頼った部分が大きかったんじゃないですかね。もしかすると日本武尊伝承はあまりにもシンボリックすぎて、実在性を疑われるのも無理がないかも知れない。

    そういう意味では敵対的なM&Aではなく、友好的なM&Aのような印象がありますけど、やはり、強硬的にやった地域もあれば、そうでもない地域もあって、というのが現実のような気がします。

    客神と言えば、氷川神社を思い出しますが、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造として奉崇した(出典:武蔵一宮 氷川神社HP)と言いますから出雲神を祀るのは通りですが、客神たる門客人神社の御祭神が稲田姫命のお父さんお母さんですから、ちょっと支配。被支配の関係ではなさそうです。

    ちなみに手長神社・足長神社は諏訪にあります。出雲神話に出てくる毎年娘をさらいに来る龍は越國から来ていることになっており、素戔嗚尊が龍を退治する舞台は勝手に出雲だと思い込んでいます。龍を倒した見返りにもらい受けた稲田姫命もそのご両親もなんとなく出雲人だと思い込んでいます。一応、出雲市の須佐神社の神主家・須佐氏は脚摩乳命・手摩乳命の後裔としているので、やっぱり出雲人で収まりはいいのですが、諏訪や氷川神社の門客人神社は若干違和感を覚えます。

    あれこれ考え始めるとキリがないのですが、いくらかパターンはあるとしても、一筋縄ではいかないようです…。