世界最古級の戦術書が述べるところの最大のテーマは非戦ではないかと思う。
”兵法”とあるから如何に戦うかという話になりがちだけれど、ことの本質は違うと思う。
どんな戦も始まる前から始まっている。
ほんとのほんとに殺し合いになる前から始まっている。
できれば、その殺し合いになる前にその殺し合いを回避する方法を模索する。
『外交』だ。
できるなら、双方の国民が誰ひとり死なずに解決できれば、それに越したことはない。仮に斬り合い撃ち合いになったとしても最小限の被害に留めたい。
それは最終的に勝っても負けても被害を最小限にしないと勝ったとしても自国民が大量に死に、街も破壊されてしまっては負けた国を占領するまで手が回らないし、負けた国から何かを奪うために戦争を仕掛けたのではなかったか。それなら、負けた国を完全に駆逐してしまってはやはり復興に手がかかる。
自国も敵国も傷だらけでは復興も何もあったものではない。
日本神話に出てくる戦はどこかのんびりしていて、殺し合いをせずに譲り合いとか同盟とかによって共同して国土を発展させましょうという形が定型になっている。
事実はどうであれ(神話だから事実がどうとか議論しても仕方ないという考えもあるだろうけど、一応、私個人のスタンスとしては歴史的事実を何かしらの形で反映したものととらえています)、勝ち組の作った神話としては勝ち組によって国が繁栄した体でないと神話の存在価値もないから、その繁栄の背景は日本神話の場合、”非戦”だったのではないだろうか。
いずれにせよ、孫子の時代から可能なら戦闘を避けたい意志は十分あったはずで、そのために考えられることは外交努力だったのだろう。
当初は戦闘を避けるための外交であり、開戦となれば損害を最小限に終戦を迎えるため、戦争を終わらせるための外交だっただろう。
歴史を見ても多くの戦争が泥沼化して先が見えない状態となり、両者がボロボロになって終わる。仮にどちらかの国力が優位であっても、やはり殺し合いをした後の終戦は難しいことなのではないか。
長引けば長引くほど、終われなくなる。
だから、回避できるものならしないに越したことはない。
それが『孫子の兵法』の根底に流れる最大のテーマだと思う。
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