
二礼四拍一礼。
代表的なのは出雲大社がこの御作法でお詣りします。
単純に出雲系?と考える向きもありそうですが、御祭神の天香山命は饒速日尊の子で尾張氏の祖神、異母兄弟に宇摩志麻遅がいて、こちらは物部氏の祖神。
御当地、彌彦神社では古式の参拝形式を残している、というような説明をしているようで、出雲との関連は述べていないようです。
古ければ四拍、だといろいろ引っ掛かります。もちろん、明治維新以降の国家神道を推し進める政策の中で、整理されたものもたくさんありそうですが。
古くて、尚且つなんらかの系統に乗っているから四拍、となればスッキリしそうなものなんだけど。
となるとキーワードは物部氏。
物部氏がこの辺りや日本海側、東北にかけて勢力を張っていたのはそんなに違和感のある話ではない。二田物部神社もあるし、一方、出雲っぽい地名もある。出雲崎もあれば、ずばり出雲もある。おまけに大神系の神社もぱらぱらと見つけることができる。起源まで調べていないので、意外と新しい時代に定まった地名や神社だとあてにはなりませんが、出雲型の古墳(四隅突出型墳丘墓)は北陸三県くらいならいくらかあったはず。
だから、何かしらの所属部族単位の古式が残っている可能性はたぶんあるんだろうなと。
ここで終わってもいいのですが、ずーっと気になっているのが、物部氏の出自。
古事記では神武東征以前に大和を治めていた、しかも同族である神宝も携える饒速日尊を祖とするのだから、これを真っ正直にとらえるなら出雲系ではない。
けれど、結果的には神武天皇に実権が移り、古代史ファンをもやもやさせたり、わくわくさせたりする。
結局のところ、饒速日尊含め、物部氏がどこから来たのか…。
単純に出雲族との結びつきが濃ければ四拍の謎は解決なんですけどね。
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