なんか昨日今日とやたらこの人のショート動画が入ってくんなぁと思ったら、6/14が命日だったんですな。
このお方のアルバムもTASTE時代も含めてさんざん聴きました。ほんとよく聴いた。
あの情熱をさらに燃やすようなギタープレイは唯一無二でしょうね。
1995年?ということは、私の大学時代は生きておられたんですか。47歳。知らぬ間にRoryの年齢を越えていたとは…。

なんか昨日今日とやたらこの人のショート動画が入ってくんなぁと思ったら、6/14が命日だったんですな。
このお方のアルバムもTASTE時代も含めてさんざん聴きました。ほんとよく聴いた。
あの情熱をさらに燃やすようなギタープレイは唯一無二でしょうね。
1995年?ということは、私の大学時代は生きておられたんですか。47歳。知らぬ間にRoryの年齢を越えていたとは…。

歩くとセロトニンの分泌が活発になる。セロトニンが出ると心が安定する。
でも、歩いたからといって実感するほど精神面に変化を与えるわけではないような気はする…。それよりも日中外に出る、とか、お店のスタッフでもいいから何かしらの接点を持つ、とか、なんかそういう利点が大きいような気がする。
もちろん、そういった活動が億劫だと思うんだけど、あまり負荷にならないようにでも、少しだけ活動を増やすことがより安定につながるのは確かだと思う。

なぜ、安曇氏が海のない山に囲まれたこの地に根を下ろしたのか。
外洋にまで船が出せる当時のハイテク技術集団が白村江の海戦以降、この地に移住した、おおざっぱに言えばそんなイメージでいいかと思うのですが、いろいろ何故?が多い。
一番は失われた航海技術でしょうか。どうもこの後、日本の航海技術は消滅したようです。他国へ戦船(いくさぶね)を出した国(そもそも国という体だったのか…)がその後、遣唐使・遣隋使は命がけの航海となり、瀬戸内海航路もだいぶ後世になって開かれた…。もっとも瀬戸内海は外洋と違って浅瀬も岩礁もあって、航海技術としては別物なのかもしれませんが。いずれにしてもロストテクノロジーの観があります。
いずれにせよ、航海が得意とされた一族が海のない山国に移り住んだ不思議は消えません。
白村江の大敗。これが分岐点だったのは確かなんでしょうけど。技術者を喪失した。責任を追及された。殺し合いのために船を出すのがいやになった。船を作り直すのに木材が豊富な山国に行ったら、意外と居心地がよかった。需要がなくなった。遣隋使などはローコストで朝廷にすり寄るやつらが出てきた。
あ、全部妄想ですけど、今でいうAIとか半導体技術を持った一族がその技術を捨てる理由は軽くはない…。
やめたかった。
やめるしかなかった。
やめさせられた。
やめてみたかった。
現代のサラリーマンだな。
いや、現代のサラリーマン視点で見ちゃいけないのか、やっぱり人間社会だから似たようなこと、気分が起こるのか…。
政治的な従属関係があった…と思い込んでいたけど、それすら正しかったかわからない。請われて船団を組織しただけだとすると政府に従わないという選択も可能だったのかも。でも、白村江は協力した。でも、壊滅させられた。次はないよ、って。次も何も働き手の男子を多く失った可能性もある。技術的な問題とは別に担い手がいなければ、収入源を変えるのは普通かも知れない。東へ行けば行くほど、誰の土地でもない(?)土地もあるだろうし。少なくとも中央政権の手の及ばない領域はあって、自分たちの力だけで開拓しようが、現地の人と協力して発展させようが方法はあっただろうね。
今はそこに穂高神社があるだけ。祭祀の中に海の民であることを示唆する内容はあるようなので、いつか見てみたい。それに安曇氏以前にこのあたりには縄文時代からの文化があったわけですから、また何層も積み重なっているんでしょう。

抗うつ薬をやめたのが5月の中頃でしたか、それ以降の体重低下は明らか。
別件で減量の指示が出ています(笑)ので、目論見通りなのですが、薬をやめるだけでここまで変わるとは…。
食事の工夫は当然ながらずーっとやってきました。ある程度までは下がるのですが、下がり幅は決して大きくなかったんですよね。ちょっと外食が増えると体重も増える。
そもそも抗うつ薬の多くに代謝の低下があります。添付文書にも機序不明の代謝低下と書いてあったかと。とにかく代謝が落ちる。プラス食欲というか、食べる量がコントロールしづらい。無限に食べられる。
おなかが減るというより、食べ始めるとずーっと食べられてしまう。多めに作ってしまうと全部食べられてしまうから、最初から作る量を抑えなくちゃいけない。それでもやっぱり薬をやめる前後を比べると代謝機能は格段に違う。
歳をとると代謝が落ちて、相対的に時間の流れを早く感じるようになる説を信じているのですが、まさに薬をやめて代謝が向上すると時間の流れが遅く感じています。自分の回転数が劇的にあがって。
もちろん、短絡的にやめれば痩せられるという発想はダメですよ。私の場合、いろいろありまして、肝硬変初期の脂肪肝があって、差し迫って減量の必要があったこと、実は以前から肝機能の数値が高値であったこと(この頃は自宅で酒を飲む習慣もなく、仕事関係で飲むくらい、ただ飲むときはかわいい量ではなかったですが)、抗うつ薬の副作用と思われる副作用がずっとあったことなどがあったので、あるとき精神科の医師に相談したら、現状は薬に頼っている状態には全然見えないから、やめちゃっていいよ、と。それが1年くらい前の話で、それでもそんな会話があってからすぐやめたわけではなく、当の本人が慎重で1年くらいかけて退薬したわけですね。
ですから、痩せたいからやめるような話ではなくて、やめるにも段取りがあって、やめていいか減らしていいかの判断もやはり専門的視点が必要。
ただ、批判的な言い方をすれば、精神科医が数値的根拠を持って判断しているわけではない(だろう)こと。少なくとも検査などはせず。さすがに一か八かとは言わないけれど、若干「えいやー!」の部分はある。

新潟の中越に構えるようになって、約一年。実はその頃から通っていたのがこちらのお社。由緒自体はそれほど古いわけではないのですが、ちゃんと(笑)絶壁階段の上にお社があります。かといって、名前から想像するような大きな滝があるわけでもないので、日曜日と言えどそれほど混雑しないのが嬉しい。
ただね、龍神信仰と名の付くところは清浄な空気を保ちにくいイメージがあるところ、ご当社はこれまたそれほど暗澹としていないのが嬉しい。
やはりね、欲望だけではダメよ。ちゃんと急階段をあがってらっしゃい?と。
奥之院に至ってはホントに気をつけて行かないと。
いつも思うんですけど、こういった奥之院系は安易に行かないこと。歩けばクマさん、車ならそれなりの運転技術。
車も道の端っこまで寄せられない、すれ違いできるところまでバックで戻るもできないじゃ、困ります。全部対向車任せみたいな。
人間の欲望と自分勝手をむき出しにしただけに見えますな。
それこそ、神様に試されてるんですよ、きっと。
私が奥之院に行った時は金ピカのヘビが道の真ん中でとぐろ巻いてましたけど。
ちょっとできすぎですよね。だから、目を疑いましたよ。でもいた。
その後、大金が転がり込んできたという話はありませんが、お仕事はまずまずなのかな。失敗やつまずきはないとは言いませんが。
でも、もうしばらくは奥之院はご遠慮します。道が細くてこえぇーのとずーっと見られてる感がこれも怖めなんですよね。
なんかいる。
こいつは飲んだあとの反動がヤバい
うつの治療期にそれでも気分が上がらなかったり、ストレスを感じたり…ストレスに縛られたりしたら飲むために処方されていたんだけど、今でも抗うつ薬が抜けてからも念の為に処方されているもので、とにかく0.5mg一発でもなんというか反動を感じる。
結局、ドーピングしてんだな。無理矢理借金して活動力を増強してる。だから、あとから削られてる感じが出てくる。
わかっていることだから、この11年間控えてきて、前の担当医からもこれで治るわけじゃないからと言われ、ほとんど飲んでこなかったんだけど、抗うつ薬が抜けた今…ちょっと仕事でうまくいかなくて…かと言って、抗うつ薬に戻りたくはないから今こそと思って。明日からは環境が変わるから今だけだと思ってね。
トップが浮いていた件で、サドルを削る。
ネックの反りやトップが浮いたことで弦高が高くなっているので、ブリッジを削る。
同様にナットがかなり低くなっているけど、ネックの反りもあってかギリギリビビらない状態になっている。マストではないけど、ナット交換もすることにしました。
通常のネック調整。
しめて23,700円。
完成は7月初旬。
これも歴史ブームの影響なんだろうけど、家紋でご先祖様が武士だったか、公家だったかがわかる!と結局、人間て、血筋やら血統を誇りたい生き物なのね、と思ったりする。
純粋に家系を調べたくて◯◯という苗字は武士、みたいなサイトや動画が多くて、まぁ論理的に考えるとすぐひっくり返りそうなものが多い。
ちなみにうちの家紋は丸に剣片喰。
まず片喰紋がべらぼうに多いので、ここで家紋と稼業を結びつけることがほぼムリになる。
剣がついてるから、武家。これもだいぶ厳しい。うちもこの剣を根拠に武士の末裔であるから、と言われたけれど、今ひとつ確証がないし、武家らしい痕跡に乏しい。
極め付けは藩士なら名簿に載るがない。100歩譲って、下級武士、あるいは町人身分だけど、何かしらの功績があって、名字帯刀を許された程度か。
そもそも苗字が武士っぽくない。加賀藩の中で出てくるのはせいぜい職人の中に同姓が見つかる程度。
金沢市内の古地図の職人居住区に同姓が一軒。この程度では拙い💦
父方のご先祖様は高岡城の門前町と言っていいのか、とにかくお城の前に住んでいた。
これは戸籍を遡るだけでわかる。
ただ、このお城の前のおうちはうちから見れば総本家みたいな感じで苗字も違う。仮にa家とする。明治初期に分化したのを仮にb家。更にそこから分家したのがうち。b家とは苗字は同じなのでb’家とする。
b家は今でも高い石垣で囲われたお屋敷と言っていいおうちを構えている。薬局だったようだ。でも、ここんちに免許がなかったようで、分家たるb’家の娘(私から見れば祖母)に薬剤師免許を取らせ、b家に免許を貸していたんだそう。
一応、言っておくと当時の免許貸しはそれほど行政の指導も厳しくなく、祖母は十分貯え、二浪してやっと入った(私から見て)親父の医学部の学費も賄えた。伯母も京大だったと記憶しているから、経済的にも頭脳的にも教養的にも優秀だったことがうかがえる。
もう少し説明を加えると祖母の薬剤師免許だけで何もかも賄えるほどだったわけでなく、本家も総本家も今では考えられないほどの財力がもともとあって、できたことだと推測している。
さらにちなみにb家は総本家の次男だからまだわかる。明治6年2月に役所に届け出ている。
一方、b’家は五男坊。次男から5男までみんな分家できるほどの財力がありましたという話ではなく、次男は日露戦役で戦死、三男は夭折、4男は…少々お行儀のよくないお方だったようで、でも紆余曲折があって最終的には20代半ばで分家。ただ、地元ではなく東京市へ。
私から見て直系の曽祖父の五男さんも恐らく紆余曲折があって20台も半ばを過ぎて分家。それまで何度か養子縁組→離縁を繰り返し、それが当時としては普通だったのか、よくはわからない。chatGTP曰く、”紆余曲折”があったととらえるお答えであった。
いずれにせよ、それなりの財力と子供たちに教育を受けさせるだけの教養があったおうちだったのは確かだし、そのうえで相当の土地(農地)も抱えていたようだから、収入減に困ることはなかったのだろうと推察。
今のところ、気になるのは明治維新までの稼業。居住地は戸籍謄本でわかっているので、古地図からどういう町に住んでいたのか、どういう職業に人が住んでいたのか、稼業まで絞り込めるか、というのがポイント。
自分のルーツを知りたいだけなんだけど、時間というものは当然近い順位わかりやすく、さかのぼればさかのぼるほどわからなくなる。当然、時間軸順にさかのぼると、近いご先祖様のことを知れる。でも、戸籍謄本だけだと職業はわからない。
高岡城は江戸幕府開府の頃に廃城となっており、同時に武家は石川県側に帰っている。一方、町人クラスは帰りたくても引き続き高岡で暮らすことを強制された。だから、ご先祖様が武家だった可能性はかなり低く、安く買い叩かれたお城の前の門前町にいつの頃からか住んでいた…。ついでに高岡廃城の際に街道筋もだいぶ改造されたようで、高岡城付近は賑わう場所ではなかったよう。むしろモノづくりなどの職人町が発達した…と想像はするけれど、これは調べればすぐわかりそう。
一時期、自力で図書館の本を調べたけど、なかなか続かなくて、近いうちに図書館側の協力を得て調べようかな。
000‐15を預けて3週間が経過した。そもそもこちらから確認の電話をしたんだけど、見積もりが出るのに3週間かかります、と。で、3週間経ちました。修理ではなく見積もり。正確な見積もりを出すのに3週間。
そういうもんなんでしょうか?
ていうか、3週間で見積もりが出ると言うたんやから、いったん連絡しない?