投稿者: kmngr_kasumi_eater_0607

  • 小島神社(一支國)

    小島神社

    満潮になると参道が消える神社。

    うっかり島の方で満潮を迎えると4時間島で過ごすことになります。

    それがまた、満潮が始まるとすごいスピードで参道がなくなります。

    当時、干潮満潮時刻を調べて行ったと記憶しているのですが、島から戻ってきた途端にザザザザーと潮が満ち始めて島の上にいて気づかなかったり、わずかなタイミングで戻れなかったかも…と鳥肌が立った覚えがあります。

    まぁ、自分の計画ミスなんですけどね。夜じゃなくてよかった💦

    所詮浅瀬だろ?って思うかも知れませんが、あの波の勢いを見たら浅瀬でも戻る気にはならないですね。

    もってかれる。

    神社というところは生と死の境目なんだな。お詣りをして、鳥居をくぐると生まれ変わって外に出る…なんて言いますけど。何がそれを体現しているかのような…。

    そのあと、しっかりウニ飯を頂くことができました。

  • 金刀比羅神社(越後國)

    この一年で見つけた小さいけど居心地のいい場所。住宅街の中にあるし、駐車場もほんの数台分しかないから長居できる場所ではないんだけど。

    お名前から金運に御利益がありそうで、正にそれを売りになさっているのですが、あくまでも自分のお金の使い方や付き合い方を相談させて頂いています。

    人が振り回されるもののひとつにお金がありますよね。たくさん欲しい、お金の心配をせずに生活できたらいいのに、先々のことを考えると何が不安ってお金のこと…。

    間違いではないですよね。一部の富裕層以外は多かれ少なかれ経済的に余裕がない。

    もちろん、使うところは使って、贅沢している人もいれば、毎日を切り詰めて生活せねばならない人もいるでしょうけど。

    よくわからないのは前者。十分贅沢してますよね?って見えるのに、もっともっと。

    いや、それが人間の典型なのか。尽きることのない欲望。

    清貧とか赤貧という言葉があるけど、貧しい方が清いという認識がある。

    つまりはお金に縛られているんだ。もちろん、自分もね。解き放たれる自由も察してはいるけど。お金がある=安心、から抜け出せない。

    言葉遊びかも知れないけど、お金がなくても安心、はまだ縛られている状態。お金があっても安心、はだいぶお金の呪縛から解き放たれつつある状態か…。

    お金というものがあるから不安を煽る。それを乗り越えるとお金と不安の連動を断ち切れるんだろうね。

  • 仕事はマスター、気持ちはビギナー。

    仕事の姿勢を示す言葉。

    仕事の質はマスターレベル(を目指し)、気持ちは新人のときの新鮮な気持ちのままで。

    ベテランと言われる人たちにとっても世に出たばかりの人にとっても。

  • 見える化と5S

    整理

    整頓

    清潔

    清掃

    ふとこれらと見える化は同じライン上にあると思った。

    目に見える状態であっても整理整頓されていなければ、目に入っていても認識しづらくなる。

    清潔清掃はちょっとズレるかも知れないけれど、躾はこの整理整頓をする魂の部分にも思える。

    見やすくしておこうという心の動き、目線。気付きやすくしようという心の動き、配慮。

    清潔清掃はそれらを認識しやすくするための補助療法だろうか。

    常々、この躾が核なのではないかと感じている。原動力になる。裏を返せば、椅子から立ち上がって椅子を入れない人に、トイレットペーパーを使い切ってもそのままでトイレを立ち去る人に、会社のロッカーの扉がいつも空きっぱなしの人に、土台無理なことではないだろうか。

  • OJTの原則

    (1)やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。


    (2)話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

    (3)やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

    (1)はOJTの基本プロセス。手順書。

    (2)は上に立つ人、教える側の姿勢。上司観。

    (3)は最終的に教え教わる文化が醸成された組織の話。組織論。

    やってみせ:まず手本を見せる。ときどきできないくせに口だけで説明して、教えたことになっていることがある。手本とは本来あるべき姿であり、本来要求されるスピードやクオリティーを示すことになる。つまり到達点。ただし、かっこよくスマートな状態だけを見せて、ほらやってみろは違う。動きがわかるようにゆっくり見せる必要もある。”やってみせ”だけですでにこれだけのボリュームがある。

    言って聞かせて:いわゆる動機付けの部分。その仕事をやる理由、必要性。仕事には必ず理由があるのだから、それを伝えてできれば内発的動機付けに持っていく。ただ…いまどきはそれがうまくいかない可能性がある。仕事上必要なことと自分がやるかどうかがきれいに分離している人間が割といる。会社なんだから、とか、仕事だから、とか、給料もらっているんだから、とか、そんな話はイチミリも動機にはならないし、これらは外発的な動機付けであり、言い続けないと失われる動機。一方、決まっていることなら理由が何であれやる、という人種もいる。理由なんてどうでもよくて、クオリティーもどうでもよくて、よりよくとか熟練にも関係がなく、決められたとおりに動くのみ、というパターン。だから、動機の在り方も会社目線とかお客様目線とかが通用しない時代。

    ほめてやらねば:ここで誤解してはいけないのは、そのままほめるという意味ではなく、評価するとか、その前に認知するという意味に置き換えておきたい。サンドイッチ話法とかそういうアドバイス方法が端的には出てくるカテゴリーなんだけど、もう少し深い。出来た出来ないの前に、やってるね、と認知する。腕前を向上させるかどうかはその次の話でね。

    話し合い、耳を傾け、承認し:議論できる時点でそうとう出来上がっている観はあるけど。少し前から聞かれるようになった話に「僕の考えでは」をごり押しする若者の話。ここでも会社とか組織の中にいるということをすっかり忘れているのだけれど、会社で決まったことに対し、意見を求められているような状況でもないのに「僕の考えでは」が出てくる。多くはそれって、先人たちによって失敗したこととか、法律に触れることとか、とにかく「やってごらん」すら上司が許可できない内容を堂々と、且つ頑迷に主張してくるパターン。

    任せてやらねば、人は育たず:いわゆる権限移譲。権限を適切に移譲するのは難しい。権限の範囲を設定して、適切な人材に移譲するわけだ。そして組織として成り立つように権限を振り分けなければならない。どうやっても権限と権限の間に隙間もできる。逆に集権化する組織もなくはない。以前投稿した教育に重点を置かない組織では適切な人材に乏しい。正しい判断ができるのは階層が高い人だけ…。まぁ、能力の良し悪しというより情報量の多寡なんだろうけど。集権化すれば、少ない人間で権限を行使できる。スピードが上がるような気もするが、いちいち下位層は上位層にお伺いを立てなければならない。稟議が増える。書類が増える。会議が増える…。下位層や若い層を教育する手間と経費を減らすことは短期的には利益に反映するだろうけど、権限という点では機能不全に陥りやしないか。一応、皮肉を言っておくと上位層が優秀であればいいね。

    やっている、姿を感謝で見守って:資本主義経済の中では、この感謝で見守ってが難しいんじゃないか…。上位層は下位層の仕事をやって当たり前とみている。事実そういう当たり前の面もあれば、当たり前と思ってくれんなよ、と思う面もあろうな。

    信頼せねば、人は実らず:私が初めて平社員から平社員じゃなくなったとき、「信じて頼るな、信じて用いよ」と言われた。人を管理するとはそういうことだと。具体的に人に仕事をさせるとはそういうことだと。

    制御して使うものだと。ずっと平社員だとこの感覚はわからない。ひどいとか言われそうだが、それはあなた方の上司が表に出さないだけで、少なからずそう考えているか、頭を使っていない無能な上司かだ。無能な上司でも務まる組織なら、その組織はその程度のものだろうし。

    では、この場合の”信頼せねば”は如何なる意味だろう。これはもうそれなりの権限を移譲して責任とともに委ねられるほどの存在だろうから、信頼し切って失敗したとしても上司の知ったことではないんだよ。恐らく権限だけでなく、立場(職位)、報酬を頂いてのことだろうからね。守ってもらう立場じゃないんだ。だから、そこに覚悟もあろうから、育つ。

    それをわきまえないと上司は責任を取ってくれるひと、守ってくれるひとという勘違いが生まれる。権限移譲とはそういったドラスティックな面もある。

    この山本五十六元帥の格言とされる言葉は教育の至言の如く語られるけれど、深く考えれば考えるほど、”責任”とかシビアな話と切り離せなくなる。

    決して甘い話ではない。

  • 洩矢神社(信濃國)

    諏訪信仰を語る上で、どうしても外せないのがここ。詳しいお話はいずれするとして、建御名方神以前は洩矢一族が奉斎する神様だったはずです。

    建御名方神も敗軍の将であり、なぜかこの諏訪の地を選んで逼塞することになります。一時は洩矢一族と交戦状態になったはずですが、大和式?の取り込み策で洩矢一族も諏訪の祭祀に取り込んでいきます。

    この洩矢神社は諏訪の神に上書きされずに我が神として祀り続けた場所だったのではないでしょうか。

    諏訪という地に来たら来た分だけ、いろんな層を見付けることになり、神長官として取り込まれた洩矢一族は無視できない存在です。

    故にいつかお訪ねしようと気にかかっておりましたが、注連縄の紙垂を見てわかるようにどうも歓迎されていないような気がしてならない。暴風といっていい。もちろん地形的には山の斜面であり、諏訪湖に開ける街道の近くですから、隘路を通る風が圧縮されて強くなることはあるでしょう。

    しかし、鳥居をくぐる前は何もなかった。くぐって拝殿に近づけば近づくほど風が強くなる。

    この日は前日から5月としてかなり暑い日で何か気圧差が生まれたのかも知れないけれど、タイミングが絶妙すぎる。風以外の圧、威圧といっていい恐怖感。

    これは速やかに退散するに如かず。

    歴史資料としては重要な場所ですが、今後は遠慮しましょうか…。

  • 三嶽神社(信濃國)

    本殿に詣る。

    御祭神は高皇産霊尊、少彦名命、猿田彦命。

    縄文時代の遺物が発掘されるところを見ると当然何かしらの原始祭祀の場であった可能性がある。

    本殿に参拝した後、向かって右の天満天神社にも手を合わせる。言わずと知れた菅原道真公を祀る。

    その時、背後に人の気配がした。

    それまで誰もいなかったし、社務所も無人に見えたけど、疑わずにほかの参拝者が来たんだろうくらいにしか思わなかった。

    私はそれでもゆっくり手を合わせる主義で、慌てて参拝を切り上げるようなことはしなかった。

    でも、その時木の枝が、太めの木の枝がへし折れるような音がその背後からした。距離にして2mほどか。参拝者が順番を待つような距離。

    さすがに振り返った時、誰もいなかった。

    そもそもそれまで足音もなかった。

    気配だけが背後で待ち、枝の折れる大きな音とともに気配も消えた。

    妙なことが起きた時でも不思議と恐怖を感じない時もあれば、気のせいかもと思えるほど何も感じないこともある。

    今回は違った。

    確実にいた。

    目には見えなかったけれど、確実に。

    これこそ気のせいかも知れないけれど、去り際の後姿を見たような気にすらなった。

    そのあとは何もなかった。

    やっぱり無人の神社だった。

    気配とは何だろうか。

    逆に人の気配に気付かなくて驚くことがある。それは「びっくりさせんなよ」と笑い話で終わる。

    感じる時と感じない時がある。

    自分の側のセンサーに問題がありそうでもあり、発信する側にも訳がありそう。

    忍者は気配を消すことを得意としただろう?

    カリスマは気を発することで人を虜にしただろ?

    背後にいた気配は存在を隠さなかった、上に大きな音まで発して強調した。

    迷惑だったか、参拝したことが。

    先だって”呼ばれないといけない神社なんてない”と否定しておいたが、拒否されているかもなと思うときはある。どこかで書いたかも知れないけれど、島根県の物部神社は典型だった。無風の見たことないようなどしゃ降りだった。夕方だったし、今時日本でも東南アジア張りのスコールは珍しくないし、ちゃんとゲリラ豪雨と専用の名前まで生まれたから、日常茶飯事だと言えばそれまで。

    いつだったか、九州地方の雨雲の厚さが東南アジアの雨季の雲と同レベル、なんて記事を読んだことがあった。

    ちなみに翌朝の再度物部神社参拝は気持ちのいいくらいの晴天の朝だった。だから、神様に試されたんだろうと思うことにしている。

    三嶽神社も試されたか、神様のいたずらか、縄文人の霊かも知れない。

    人間の脳は例えばひとりぼっちの森の中にいると不安が募り、周囲のなんでもない音を集音して、ときに人間の言葉のように変換してしまうことがあるようだ。脳の誤作動のような説明もあるかも知れないけれど、もう少し複雑な挙動のような気がする。何か意味のある言葉、単語に変換しようとしているのではあるまいか。不安、怖れや畏れが不安を搔き消すためのつもりがさらにそれを助長する音声にしてしまう。

    私は幽霊とかそういった非科学的と言われるものを決して全否定はしないし、あるかもなぁと思うことは時々ある。

    でも、必ず科学的に説明できないか試みる。そして、ほぼ客観的に科学的に説明がつく。今回も気配というものは説明しづらいけれど、ひとりだという不安が何かを作り出した可能性は完全に否定できない。人間の神経や脳みそが100%解明されていない以上。そして、朝日の当たり始める午前中の森で温度や湿度の関係で枝が弾けることはこれもすべてを霊的な現象にくくることも無理があるし、ただ、温度云々というほど寒い朝ではなく、前日からご当地としてはかなり暑い日が続いていた…。川や滝が流れる場所ではないから、乾いた感じ。森は日の向きで陰り、日の向きで太陽の光を浴びるから、それなりに環境の変化はあるのかも知れないけれど。

    少なくとも直感は奇妙だと言っている。

    何故ならこの次にお邪魔したのが洩矢神社ですから。神様のほうで好き嫌いがありそう…。

  • Johnny Winter

    私にとってのBluesの入口はこの人です。

    大学浪人時代です。

    Guitar Slingerという異名が彼にとって誉め言葉になるのか自身はありませんが、単なる怒涛のギタリストではなく、凄腕なのは間違いないです。

    勢いとか力押しではなく、壮絶なギターテクニックを駆使する、ただ、その豪快さはSRVにも引き継がれるテキサス魂と云えるかも知れないけれど。

    尤もSRVのほうが先に死んじゃいますけどね。

    SRVもLynyrd Skynyrdも航空機事故でしたよね。SRVはヘリだったかな。

    そういう意味ではJohnnyの飛行機嫌いは身を助けましたね。それだけじゃなくて、最後の最後までBlues Manたり得た。

    数少ない来日が2011年の東日本大震災の直後だったんですね。私は当時転職したばかりでとてもJohnnyにお目にかかれる状況ではなかったですけど。

    亡くなる直前のライブアルバムがやれへろへろだの酷評されてたけど、そいつぁ演奏会を聴きに行ったか筋金入りのBlues Playerの生き様を見に行ったかの違いで、前者は行く場所を間違ってんのよ。いや、百歩譲ってJohnnyはテクニックより爆裂プレイのほうを評価されがちだけど、あれでハイテクギタリストだもん、テクニックを見たい輩がいても不思議ではないけれど、ど真ん中ではない気がするよ。

    もうJohnnyのプレイは見られないけど、少しでも受け継げたら…。

  • ミトコンドリアとY染色体

    自分のルールを探る方法のひとつとして、ちょっと角度は違うけど、自分の遺伝子を調べるという方法。だいたい1万円くらい。

    ミトコンドリアDNAをたどれば、母方のご先祖様をひたすらさかのぼれます。逆にY染色体は男子にしか受け継がれませんから、男親をさかのぼることができます。

    だから、氏族的なルーツではなく、民族的なルーツがわかります。

    私の父方は4万年前には日本列島にいたひとです。5~6万年前には日本に人が住んでいたとは言われているのですが、人骨のような遺物として確認されているのが確か4万年前なので、そういう言い方になっているんだともいます。

    母方のほうは琉球を伝って日本列島に入ってきたひと。そんなに古くなかったと記憶しています。数千年規模。そうすると江南かもっと南の東南アジアか…。大陸からか島嶼からか…。

    こういうものか時間とともにデータが蓄積されていきますので、今やればもっと違う答えが返ってくるかも知れませんね。

  • カウンセリング命

    寄り添うこと。

    反論しないこと。

    相手の気持ちや心をひとつでも拾おうとする姿勢でいること。

    それはつまり、テレパシーでもない限りわかるはずないと切り捨てるのではなく、かといってわかった気になれというのでもなく、わかろうとする姿勢の話だ。

    そして、悪用せぬこと。

    宗教の勧誘、〇〇経営の営業、ネットにあふれるマル秘ノウハウと儲け話の勧誘、自己啓発系のセミナー…みんな手口は一緒。